その時、神話は生まれた── 当事者たちが振り返る 1992年のデイトナ24時間レース 日本人チーム優勝への意地とプライド
■必勝態勢で臨んだ1992年のデイトナ24時間
そして迎えた1992年のデイトナ24時間レース。 日産陣営は長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男/アンディ・オロフソンのR91CP改を主役にしてレースに臨んだ。 が、オロフソンは予選だけ走り、決勝レースではリザーブドライバーにとどまっている。 「富士スピードウェイで1度だけテストしたんだけど、エアリストリクターとマフラーを装着していたからピークパワーとトルクが落ちてタイムが伸びなかったんです。そこで対策を施し、実用域でのトルクを太らせたらいい感じで走れるようになりました。ダウンフォースとシャシー性能がエンジンパワーに勝っていたから扱いやすかったけど、レース中は飛んでくる砂に悩まされましたね」 と、鈴木利男は語っている。 エンジンはVRH35Zと名付けられた3.5LのV型8気筒DOHCだ。これにIHI製のツインターボを装着した。 そのパフォーマンスは国内JSPC仕様では800ps/80.0kgmだが、デイトナではリストリクターと消音器が付くため680ps/80.0kgmとなっていた。 スタートを担当したのは長谷見昌弘だ。 3番手からスタートし、すぐにトップに立った。が、周回遅れのクルマが増えてくると、デイトナ特有の砂に苦しめられることになる。 コーナーでインカットするGTカーが多く、そのたびに砂が巻き上げられるのだ。この砂がラジエターを塞ぎ、オーバーヒート気味になった。 「オイルを入れすぎたフロムAニッサンから吹き出したオイルがノーズにかかり、これに砂がこびりついたんですね。最初はわからなかったんだけど、徐々に水温が上がってきて慌てましたよ。ジャガーチームは網をつけたフィルターをセットして、これを定期的に交換していたね。ボクたちもピットインするたびに清掃したんだけど、なかなか取れなかったんです」 と、長谷見は砂に苦しめられたことを懐かしそうに語る。星野もヒヤッとしたことがあった。 「最初は水をかけていたんだけど、途中からはパーツクリーナーをバケツに入れ、それをかけて砂を落としたんだ。再スタートするときは水蒸気がモクモクと出て前が見えない。ピットアウトしてすぐに合流するんだけど、この時ばかりは緊張したね。少し走ると水蒸気は消え、視界が開けるんだけど、それまでの時間がとても長く感じたね」