「号泣騒動」の柔道・阿部詩選手 勝ちにこだわり“精神修養”を忘れた「周囲の大人の未熟さ」
連日のメダル獲得で盛り上がりを見せているパリ五輪。オリンピックといえばもちろん競技の勝ち負け、誰がメダルを獲得するかに注目が集まるのだが、勝敗だけでなく、大舞台では繰り広げられるさまざまなドラマを見ることができ、単なるスポーツ大会で終わらないエンターテインメントの要素が溢れたイベントだ。 【画像多数】「号泣のウラで…」柔道・阿部詩 ″合い鍵″半同棲のお相手は8歳年上「カリスマ美容師」 笑顔や涙、悲喜こもごものシーンが連日テレビで流れているが、中には物議を醸すものも。 とくに話題になったのは、女子柔道52キロ級に出場した阿部詩選手が、2回戦で敗退した際の“号泣”する姿。これにはSNSでさまざまな意見が飛び交った。 テレビを見ていて、 「どうしたんだ?」 と思ったのは私だけではないだろう。オリンピックを含めいろいろな大会の中継ではこれまで見たことのない光景だった。これには、 《もらい泣きしました》 《血の滲むような努力をしていたと思うと感動しました》 と擁護する声も多いのだが、 《泣きじゃくるのは控室に帰ってから。他の選手にも迷惑》 《柔道家なら控室で泣くべきだろ》 と批判的な意見もあった。 これに対し、テレビに出ているコメンテーターたちは、おおむね阿部選手に寄り添う意見を述べていたが、一部コメンテーターの、 《番狂わせが起きた》 《オリンピックの魔物に負けた》 という解説には首をかしげたくなる。 阿部選手は確かに金メダル候補だったかもしれないが、相手のディヨラ・ケルディヨロワ(ウズベキスタン)だって世界ランク1位の選手だ。番狂わせでも魔物でもない。しかも見事な一本勝ち。相手の選手に失礼だろう。 阿部選手に同情する声の中で、“3年間大変な努力をしてきた”ということが多く聞かれるが、相手選手だってそれ以上の努力と練習をしているかもしれない。 中には“天才”といわれ、努力する姿をおもてに出さずとも、上手い選手は存在する。だがそういう選手に限ってそれこそ、他人の倍以上、見えないところで練習していたりするものだ。格闘技ではよくあることで、単に勝った選手が負けた選手より強かっただけなのだ。 東国原英夫氏が、出演した番組の中で、 「悔しいのは分かるが、あの泣きはどうなのかな。柔道家、武道家として毅然としてほしかった」 「勝っても負けても礼節を重んじて取り乱さない。心技体が問われる」 と持論を述べたが、これに対しては非難の声が多い。一方で、森本毅郎氏がMC を務める番組で 「あの態度はないな」 と大筋では東国原氏と似たような苦言を呈していたのに対しては、なぜか絶賛する声が。 たしかに、フルコンタクト空手を30年以上修業している私もそう感じたのだが……。 柔道は日本で生まれたれっきとした“武道”だ。武道では技の取得と同時に“精神修養”も求められる。 またゴールはなく生涯修行を続ける。昔から、強くなるだけでなく心を鍛えて、礼儀正しい大人になるようにと子どもに武道を習わせる親は多い。 『新・平家物語』や『宮本武蔵』の作者である吉川英治氏が監修した某フルコンタクト空手団体の道場訓に、 《心身を錬磨し確固不抜の心技を極めること》 《質実剛健を以って自己(おのれ)の精神を函養すること》 という条文がある、これは武道を学ぶ上での心構えを示している。 しかし「喫煙・飲酒問題」でオリンピック出場を辞退した女子体操の宮田笙子選手に関しても言えることなのだが、彼女たちの責任ではなく指導してきた周りの大人たちの責任でもある。 勝負の勝ち負けだけにこだわり、指導者が武道精神の鍛錬をおろそかにしていたとしたら、阿部選手に武道家たる心構えを求めるのは酷なことだ。 果たして「柔道の父」である嘉納治五郎はどう思うだろうかーー。 文:佐々木博之(芸能ジャーナリスト)
FRIDAYデジタル