<私の恩人>宮根誠司 フリーになる時…テレビ局幹部に気持ちを伝えてくれた、たかじんさん
大阪・朝日放送のアナウンサーからスタートし、今や全国区の存在となった宮根誠司さん(50)。入社間もない宮根さんに大きな影響を与え、今のステージにまで導いたのは、歌手・やしきたかじんさんだと言います。 学生時代にアナウンスの練習をして朝日放送に入ったわけではないので、最初は仕事が全然つかなかったんです。そんな中、僕が入社2年目ですわ、たかじんさんがラジオ番組を始めることになったんです。その時に「下手でもいいから、一番元気なアナウンサーを連れてきてくれ」というリクエストがあって、アナウンス部の忘年会とかでワイワイ騒いでいた僕に話が来たんです。 ほんで、番組が始まったら、いきなり「お前のアドレス帳を持ってこい」と。言われるがままに持っていくと、コンパで出会った女の子とかの番号に電話をかけさせられるんです。本番中にですよ!!面白がってくれる子もいましたけど、たかじんさんの指示でむちゃくちゃなことを聞いたりもするので、その電話で関係が切れた女の子もいました(笑)とはいえ、相槌も打てないような新人アナウンサーに、コーナーを持たせてくださったわけですから、ホンマにありがたいことです。 よく飲みにも連れていてもらいました。ま、行ったら朝までです(苦笑)でもね、本当に真面目な話をされるんです。テレビやラジオでしゃべるということはどういうことか、など。正直、新人の僕には意味が分からんことだらけやったんですけど、自分が番組をやるようになってからは、「このことやったんか!!」と思うことばっかりでした。 例えば、今でもこれは僕の“芯”みたいなものになってるんですけど「なんで、放送のこと“ON AIR”というか分かるか?」と。「“AIR”というのは空気や。スタジオの空気がそのまま出ていくもんやねん。楽しむ時はオレらもホンマに楽しまな伝わらへんし、怒る時はホンマに怒らなアカン」と言われました。今も、そのとおりやと思います。 フリーになる時も、ある日、僕の気持ちを見透かすように「フリーになりたいんやろ?」と聞いてこられたんです。「なりたくないと言えば、ウソになります」と答えると、「分かった」と。それから3ヵ月ぐらいしたら、突然、朝日放送の社長、編成局長、制作局長、僕、たかじんさんというメンバーで一席持っていただいたんです。そこでたかじんさんが「フリーになりたいそうやから、何とか、ならしたってほしい」と。こっちのタイミングもへったくれもありませんでしたけど(笑)でも、この上ない形で背中を押してくださったんです。 その後、正式な話となって、「きょうからフリー」という日にたかじんさんに一番に報告に行ったんです。北新地のクラブにいらっしゃったんですけど、駆けつけて「今、フリーになってきました!!」と伝えたら、「…お前、向いてへんと思うで」と。どないやねん(笑)でも、今に至るまで、25年以上、お世話になっています。 たかじんさんは、VTRに頼らなくても、おしゃべりだけで文句なく面白い。そこのノウハウを僕がマスターできているか分かりませんけど、少しでもそこを目指せたらな、と思います。 東京で仕事をしていると、情報番組にしてもニュース番組にしても、大阪の番組よりVTRがメインで構成されています。ただ、おしゃべりだけでも十分楽しんでもらえるんだよ、ということをいろいろな場所でやっていく。それが、わずかばかりの恩返しになるのかなと思っています。 ■宮根誠司(みやね・せいじ) 1963年4月27日生まれ。島根県大田市出身。関西大学を卒業後、87年、朝日放送に入社。94年から「おはよう朝日です」の司会を担当し、2004年にフリーとなる。現在、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」、フジテレビ「Mr.サンデー」などの司会を担当している。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府枚方市生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。