自尊心は、人間にとって「贅沢品」なのか…決してそうではないと考えられる「深い理由」
私たちはふだん、「自尊心」をある種の「贅沢品」として認識しているかもしれない。それは、衣・食・住といった基本的なニーズが満たされたあとに初めて求められるものであり、ゆとりのある人だけが獲得できるものである、と。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答 それゆえ、「すべての人が最低限の衣・食・住にアクセスできるよう保障すべきだ」という主張には多くの人が同意しても、自尊心について、「衣・食・住と同じように保証されるべきだ」と考える人は少なそうだ。 しかし、ほんとうに自尊心は「贅沢品」であってよいのだろうか。 『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』を上梓した学習院大学教授の玉手慎太郎氏が、政治哲学から見た「自尊心」について語る。
コロナ禍のなか、学生に起きたこと
――『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』では、〈自尊心は「社会的基本財」である〉という考え方が紹介されています。妙に心に刺さるフレーズですが、あらためて説明していただけますか。 玉手 心に刺さるフレーズ、と言っていただけるのは紹介者として嬉しいです。ロールズの議論を、私たちの現実の問題に即してお話ししたいと思います。まずは、こういう例をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。 新型コロナウイルスの蔓延が深刻だったとき、私が教えている大学の学生たちも、ほかの大学の学生と同じように、自粛を要請され、自分の部屋からオンラインのオンデマンド授業を受ける生活を送っていました。 ふつうに考えると、学生たちは、授業にアクセスする時間も、自由も、機会もふんだんに与えられていました。授業だけではありません。好きな音楽を聴いたり、好きな本を読んだり、なにをやってもいいはずでした。 玉手 でも、実際に学生たちに話を聞いてみると、彼ら彼女らは、なかなか前向きに物事に取り組めなかったといいます。時間はたっぷりあって、ネット上に情報もたくさんある。でもレポートを書く気になれない。授業動画も頭にはいってこない。とはいえサボって他の何かをしたいというわけでもない。なんとなく力のでない日々を過ごしていた、と。 なぜそうなってしまったのか、いろいろ説明はできると思うのですが、一つには、学生たちが「自尊心を欠いた状態に陥っていたから」なのではないかと思うのです。ここで自尊心というのは、元の英語ではセルフリスペクトですから、自分自身を尊敬し信頼する心のありようです。言い換えれば、自分の人生や自分の活動には価値がある、と思えることです。 ひっくり返すと、自尊心を欠くということは、自分の人生や活動には価値があると思えなくなってしまうということです。そういう状況では、頑張る気になれない、とロールズは言います。 ロールズの議論の興味ぶかいところは、自尊心は他者との関係の中で育まれる、と論じていることです。これは考えてみればけっこう当たり前のことで、「自尊心をもとう!」と思ってもてるわけではないですよね。他の人から、一緒に頑張ろうとか、なかなかやるね! とか言われることで、人は少しずつ自尊心を持てるようになる。 新型コロナウイルスのために自宅で授業を受けていた学生たちは、まさにこの、他の人と一緒に頑張ったり、励ましあったりする機会を、持つことができなかったわけです。それでは前向きな気持ちになることは難しい。 たとえば、Wi-fiがいつでも利用できるとか、時間が十分にあるとか、彼ら彼女らにも「自由」はありました。でも人は、それらの自由を十分に「行使」することができるとは限りません。自由を用いて行動に移るためには、自尊心が必要だとロールズは言います。 裏を返せば、「あなたは自由です」「これだけの権利があります」と言われても、それらの自由や権利をすぐに自分のために利用して、のびのび生きられる人ばかりではないということです。