自尊心は、人間にとって「贅沢品」なのか…決してそうではないと考えられる「深い理由」
自尊心は「基本材」
――なるほど。すごくイメージしやすいです。 玉手 そもそもロールズは、社会における「正義」について議論した人物です。くわしくは本書を読んでいただきたいのですが、ロールズにとって正義が実現されている社会とは、「人々の利益と負担の調停が適切になされている社会」のことです。 そのなかで持ち出される興味深い考え方として、「基本財」というものがあります。基本財というのは「合理的な人間なら、誰もが欲すると想定されるもの」です。たとえば「所得」なんかは基本財に含まれます。仕事をがんばる生き方にせよ、趣味に生きる生き方にせよ、その他なんでもいいですが、どんな生き方を選んでも、所得は必要ですよね。 さらにロールズは、基本財のなかでも、社会で分配をコントロールできるものを「社会的基本財」と呼びます。社会的基本財を十分に持っていない人に、これをきちんと分配することができれば、正義にかなった社会が実現する……ごく大まかに整理すれば、ロールズはこのようなことを言っている。たとえば、所得が十分にない人に所得を分配するのは、正義にかなった行為だと考えられるわけです。 そして、私がとくにおもしろいと思うのは、ロールズが、社会的基本財として「権利」「自由」「機会」「富」という4つにくわえて、「自尊心の社会的基礎」を挙げている点です。「自尊心の社会的基礎」が「自由」や「富」と並ぶ基本財だというのは、ちょっと意外な感じがしますが、先のコロナ禍での事例を考えるとわかりやすいですよね。 ロールズによれば、そもそも「自尊心」とは、「自分が目指しているものが、価値があるものだと思えること」「それを実現するだけの力が自分にはあるという自信」という二つの側面を持っています。 玉手 なぜ自尊心が基本財と言えるほど重要なのかというと、先のコロナ禍の例からもわかるとおり、自尊心を欠いている人は、たとえ自由や機会や権利を与えられても、それを利用するということができないからです。「自分は価値のあることを目指しているんだ」「自分はちゃんとできるんだ」という気持ちがないと、人は機会や権利を利用しない。ロールズはよく人間を見ていると思いませんか? さらに興味深いのは、すでにお話ししたところですが、自尊心には他者との関わりが必要だという指摘です。それゆえロールズは、自尊心のためには安心して参加できる人間関係やコミュニティが大事だと言っています。誰にでも、なにか一つでもいから、自分を認められるようなコミュニティがあることが、自由につながるのですね。 少し専門的なことを言うと、ロールズはこれまで「個人主義的な思想の持ち主で、社会関係を考慮に入れていない」という批判を受けることがしばしばありました。しかし、自尊心を育むのにコミュニティが必要だと言っていることからもわかる通り、社会関係のことも考慮に入れている。 なぜ考慮に入れているかといえば、それはすでにお話ししたように、人間がどんなふうに生きているかということを、ロールズが鋭く見通していたからだと思います。 この自尊心の観点は、これまでのロールズの研究では(無視されてきたわけではありませんが)あまり強調されることがありませんでした。『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』は、ロールズの自尊心についての議論についてもくわしく言及している点で、類書とは少し違う観点から、ロールズの魅力をお伝えできるものになったかなと思っています。 * 【つづき】「「正義は人それぞれ」という考え方、じつは「すごく危険」だって気づいていますか…?」(4月20日公開)では「正義」について、【前の記事】「日本人は、じつは「競争」について「大きな勘違い」をしているかもしれない」では「競争」について、意外な視点からの議論を紹介しています。
玉手 慎太郎(学習院大学法学部政治学科教授)