虐待受ける子と向き合って気づいた「教員の限界」 「本当に必要な先生ほど辞める」止まらぬ悪循環
真摯な先生ほどダメージ受ける「自分を責めないで」
子どもと向き合う苦しみに苛まれ、力量が足りないのではないかと自分を責め、教員が辞めてしまうところまでが「虐待のメカニズム」だと藤田さんは語る。だからこそ「ここで自分が辞めても、次の先生が辞めるだけだ」と思い、歯を食いしばって耐えたのだ。 「子どもの問題行動の裏には、多くの場合、家庭や社会の根深い問題が隠れています。本来は教員の力だけで解決できないことが、学校の中で、いじめや教室崩壊として溢れ出てくる。そのすべてが学校の責任になってしまうのですから、みんな怯えていると思います。たとえ今年は平和なクラス運営ができたとしても、それはたまたま、自分が受け持っている間には誰の問題も溢れ出ることがなかっただけ。学校ではつねに、紙一重の時間を過ごしているのだと思うようになりました」 打つ手がない問題が教室で生じたとき、最も穏便に済ます方法は、見て見ぬふりすることだと藤田さんは言う。あるいは力で押さえ込むこともできるかもしれない。だが、管理的・威圧的な指導で子どもが変わったとしても、それは「教員の力」によるものだ。「子どもの力」が伸びているわけではないので、教員が変われば問題は再発すると指摘する。 「保護者でも教員でも、『先生さえよければ子どもは変わる』と言う人がいます。それでは属人的すぎるし、『先生次第』という発想は、問題が起きたときにすべてを教員の責任にすることにも通じるものだと思います」 学校と教員の限界を感じてボロボロになったものの、今はこの経験から得たことを伝えたいと思うようになった。そんな自分を、藤田さんは「生還者」と表現する。 「再起不能になって辞めていった先生は、こんなふうに過去を振り返ることもできないと思います。私はどうにか生き残ることができましたが、残念ながら、子どもと真摯に向き合おうとする先生ほど、こうした問題で大きなダメージを受けやすい。退職せざるを得ないほど追い込まれた先生こそ、本当に学校に必要な人たちだったのではないでしょうか」 今も苦しんでいる人に藤田さんが伝えたいのは、「自分を責めないでほしい」ということだ。また、学校の内側を向いて、関係者が互いを責めることもやめるべきだと続ける。 「心ある先生が学校を辞めなくて済むようにするためには、社会全体が変わる必要があります。報道のあり方や受け止められ方だってもっと変わっていい。先生や保護者が目を向ける場所を変えないと、終わりのない泥仕合が続くだけです。学校の問題を社会の問題だと捉えてもらうためにも、内側で責任を押し付け合っている場合ではないはずです。一番大切なのは子どもなのですから」 (文:鈴木絢子、注記のない写真: Peak River / PIXTA) 本連載「教員のリアル」では、学校現場の経験を語っていただける方を募集しております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームからご記入ください。
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