元レッドソックス・田澤純一が語る「大した実力も実績もない、だから今も野球ができる」
野球を始めたのは「遊びの延長というレベル」
「ボクは、それほど実力のある選手ではありませんからね」 メジャーで388試合に登板した男は、たびたびこう話した。謙遜(けんそん)している様子はない。本気でそう考えているのだ。 【プロ球団を経ずに、レッドソックスへ】我が野球人生に後悔ナシ! 田澤純一「素顔写真」 田澤純一(38)。ドラフト候補でありながら、’08年に日本のプロ野球を経ずレッドソックスへ入団。主にリリーフとして活躍し、’13年のワールドシリーズ制覇に貢献した。今夏は古巣ENEOSで16年ぶりに都市対抗野球のマウンドに上がったが、その経歴は本人の言葉通りけっしてエリートではない――。 横浜市出身の田澤が野球を始めたのは、小学3年生の時だ。「遊びの延長というレベル」で、中学の野球部でもピッチャーをしていた田澤。好投した試合を、たまたまコーチが観戦した横浜商科大高から誘われて入学する。そこで初めて逆境を経験した(以下、発言は田澤)。 「とにかく厳しかったです。ミスをすれば監督は怒鳴るし、手が出ることもありました。練習時間もやたらと長い。上手くなることよりも、どうやったら怒られずにすむかを毎日考えていました」 2年夏に甲子園に出場するが、田澤は控え投手で登板ナシ。エースとなった3年夏は、神奈川県大会の準決勝で涌井秀章(わくいひであき)(現・中日)擁する横浜高と対戦するが3対16で大敗した。 「夏の大会が終わると、一応プロ志望届を出すか監督に聞かれます。『出したら指名されますかね』と尋ねると『されるわけねぇだろ!』と一蹴されました」 社会人から声がかからなければ、サラリーマンになろうと考えていた。唯一、田澤を誘ってくれたのが新日本石油ENEOS(現・ENEOS)だった。 「2年目の途中までは、鳴かず飛ばずの投手でした。ストレートはそれなりに速かったんですが、変化球でストライクが入らなかったんです」 ◆「クビにしてやる」 成長のポイントは二つあった。一つは半ば強制的に摂らされた食事だ。 「身体が細くコーチから『食べないと練習に出さないぞ』と言われ、毎食ご飯山盛りです。高校時代67㎏だった体重が81㎏に。おかげで制球力が増しました」 二つ目は、大久保秀昭監督の厳しくも愛のある激励だ。 「2年目になっても結果が出ず、『秋が終わったら野球部はクビにしてやる』とハッパをかけられたんです。クビになるなら悔いのないようにやろうと、練習により身が入った。『速い球を投げているだけでは単なる自己満足。どうやって打者を抑えるか考えろ』という言葉では、投球のあり方を考えさせられました」 もともと素質は十分だったのだろう。大久保監督の指導などで田澤は急成長し、4年目には3月のスポニチ大会と9月の都市対抗でチームを優勝に導き、MVPを受賞。一躍プロ注目の右腕となる。 「ただ不安が大きかったです。ENEOSではプロとも対戦しましたが、けっこう打たれていた。社会人からプロ入りすれば即戦力として期待されるでしょう。すぐに活躍できる自信がなかったんです」 そんな時に、大久保監督から「メジャーも興味を持っている」と告げられる。 「ボクにはメジャーへの憧れはありませんでした。しかしメジャーの各球団が示したのが育成プログラムです。とくに具体的だったのがレッドソックス。最初はマイナーでもどのようなトレーニングをすればメジャーに昇格できるのか、自分の未来が明確にイメージできた。即戦力としてプロ野球に入るより、自分を成長させられそうなメジャーを選びました」 育成プランが奏功し、田澤は4年目で本格的にメジャーへ昇格。5年目の’13年には、ワールドシリーズ制覇に貢献したのは冒頭で紹介した通りだ。だがケガなどで、バスでの長距離移動などを強いられるマイナー降格もたびたび経験した。 「ある時、当時ツインズのマイナーにいた西岡剛さんと遠征先のドライブスルーで夜中に会ったことがあります。西岡さんからは『よくこんなところにいるな』と言われました。ただボクはマイナー生活が苦ではなかった。『社会人でもクビになりかけた、それほど実力のある選手ではありません。だから気になりませんよ』と答えたのを覚えています。プロ野球でバリバリの結果を出していたら、不満を持っていたでしょう。ボクには大した実績もないから、何事も経験と感じ後悔なく野球ができるんだと思います」 台湾やメキシコでもプレーした田澤。恩師である大久保監督から熱烈なラブコールを受け、ENEOS復帰を決めた。 「マイナーも社会人も関係ありません。必要とされるところで、一つひとつのプレーを大切にしてやるだけです。満身創痍(まんしんそうい)の状態ですが、求められる限りは現役を続けたいと思っています」 今後は海外での豊富な経験を、若い後輩たちに伝えたいと考えている。 『FRIDAY』2024年10月11日号より
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