お金や権利がちゃんとあっても、それだけでは「生きづらさ」から逃れられない…自由のためには仲間の存在が不可欠だというロールズの教え
社会のルールはどのように決めるべきか? すべての人が納得できる正義はあるのか? 講談社現代新書の新刊『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』は、現代政治哲学の起点となった主著『正義論』を平易に読み解き、ロールズ思想の核心をつかむ入門書です。 【写真】「所得が多ければ恵まれている」と単純に言い切れない理由 本記事では〈「所得が多ければ恵まれている」と単純に言い切れない理由…「境遇の良し悪し」はどう決められるのか? 〉にひきつづき、自尊心についてくわしくみていきます。 ※本記事は玉手慎太郎『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』から抜粋・編集したものです。
自尊心の分析(1)――自尊心がなければ自由になれない
では、自尊の社会的基礎とはいったいどのようなものでしょうか。これについて考える前に、まず、そもそも自尊心とは何のことなのかをはっきりさせておく必要があります。自尊心についてロールズの述べていることを見てみましょう。 ---------- 私たちは自尊(もしくは自己肯定感)を二つの側面を有するものとして定義することができよう。第一に、〔…〕自尊は自分自身に価値があるという感覚を含んでいる。すなわち、自分の善についての構想、つまりおのれの人生計画は、遂行するに値するという揺るぎない確信を自尊は含んでいる。そして第二に、自分の能力の範囲内にある限り、おのれの意図が実現できるという自己の才能に対する信頼を、自尊は含意している。自分の計画にはほとんど価値がないと感じるとき、私たちはその計画を喜んで追求することはできないし、またその計画の遂行を楽しむこともできない。失敗や自己不信によって悩まされることがない場合にのみ、私たちは自分の目的に向かう努力を継続することができる。(第67節、577-578頁) ---------- 文章は少し難しいですが、書かれていることが実感としてよくわかる、という人も多いのではないでしょうか。ここでロールズが述べる自尊心の二つの側面とは、簡単に言えば、自分が目指しているものは価値あるものだという意識と、それを実現するだけの力が自分にはあるという自信、この二つです。 そして、それらがなければ人は努力できない、と述べられています。自分の人生や自分の能力を肯定的に捉えることができなければ、それを実現しようと努力することはできなくなってしまうというのです。筆者なりにくだいて言えば、どうせ頑張ったって意味がない、無駄だ、うまくいくわけないんだ、と考えてしまうと、頑張れなくなってしまう、ということです。 そういったことは、現代の日本でもよくあることだと思います。少し例を挙げて考えてみましょう。ある男の子が、可愛いイラストを描くことがとても好きで、もっと上手く描けるようになりたいと日々頑張っていた。しかし両親も学校の先生も、そんな絵を描くなんてはしたない、そんなことに努力しても立派な大人になれない、と否定的で、まったく認めてくれない。クラスメイトからもキモいやつだと馬鹿にされてしまう。そうすると、なんとなく筆が進まず、頑張る気力が萎えてしまう……ここで「好きなことなんだから胸を張って頑張ればいい」「周りの声は気にするな」と言うのは簡単ですが、本人にとってはきつい状況です。これは目的の価値が認められないケースです。 また別のある女の子は、部活動でさわやかに汗を流しているクラスメイトがいる一方、どうしても自分はそんなふうに部活動に夢中になれない。そういうエネルギーが湧いてこない。だってしょうがないよ、どうせ自分なんて価値のない人間だし、そもそも努力したって成功するはずがないんだから……こういった後ろ向きな思いは、ただ「いじけているだけ」「逃げているだけ」と言って済ませることのできない、切実なものでしょう。こちらは自分の能力を信じることができないケースです。 もともと頑張れる人は、頑張ろう、と思える自分の在り方を肯定できています。自分が目指す目標は立派なものだと認められているし、頑張ることで自分はそれを成し遂げられると、素朴に信じることができているわけです。これがロールズの考える自尊心です。そういった自尊心がないと、人は頑張れません。 なぜこのような意味での自尊心が社会正義にとって重要なのかというと、自尊心を欠いている人は、たとえ自由や権利や機会を与えられていても、それを利用するということができないからです。二つ目の例の女の子について、この子は別に部活動を禁止されているわけではなく、入部して活動するだけの時間的な余裕も金銭的な余裕もあるとしましょう。しかしそういった自由や権利や機会や富があっても、それらを積極的に利用する、ということができないような状況にあるということは、珍しいことではありません。 自尊心の欠如は、まさにそのような状況をつくり出してしまいます。先の引用の続きの部分にはこうあります。「したがって、自尊が基本財である理由は明らかだろう。自尊を有していなければ、行なう価値があると思われるものは何もなくなるであろうし、またたとえあることがらが私たちにとって価値あるものであっても、それを得ようと奮闘する意志を私たちは欠いてしまうからである。」(第67節、578頁) これが、社会的基本財の中で自尊の社会的基礎が最も重要だと、ロールズが考えた理由です。自尊心が十分に満たされなければ、たとえ残りの社会的基本財がいくら豊富にあっても、人はそれを利用して自由に人生を生きることができなくなってしまうのです。