今くるよさん76歳 膵がんで死去…台本を書いていた漫才作家・本多正織氏が秘話で偲ぶ
漫才師の今くるよさんが27日、膵がんのため大阪市内の病院で逝去した。享年76。 1970年に高校時代のソフトボール部の同級生だった、今いくよ(享年67)と「スエ子・正子」で初舞台を踏み、「今いくよ・くるよ」として、84年に上方漫才大賞、88年に花王名人大賞を受賞。派手な衣装に腹鼓、「どやさ!」のギャグで一世を風靡した。宮川大助・花子、オール阪神・巨人と共に「漫才BIG3」として80年代漫才ブームの代名詞的存在に。2015年に相方の今いくよが死去してからは、今いくよ・くるよのモノマネをしていた中川家とトリオ漫才で舞台に立ち22年のよしもと「伝説の一日」の舞台にも出演していた。長年、今いくよ・くるよの台本を書いていた漫才作家の本多正識氏が故人をこう偲ぶ。 急逝の今いくよさん スポーツ紙「訃報独占スクープ」の“裏側”(2015年) 「出かけるときは『歩くのコケたら大変やんかいさー』と車いすを使っていましたが、今年になってからもラジオの仕事をされていて、お元気だと思っていたので、ただただ驚きました。いくくるさんは、80年代のテレビ漫才ブームで一枚看板になられた、性別の枠を超えた存在。“これが最後”と思って立った花王名人劇場で、おなかをパチーンと叩いたらウケて、次の日からスターになった逸話は有名ですが、普通の話でも、おふたりだとウケてしまう。体を張る芸も、くるよさんの底抜けの明るさと可愛さがあるから笑える。人懐こくて、京都人らしさをソフトに表現されているところも全国区になった理由だと思います」 ■「お客さんには笑いでお返しせなあかん」 後輩にも慕われていた。 「“趣味はご飯を食べさすこと”と言うほど後輩の面倒見が良く、お世話になっていない後輩はいないくらい。私も漫才の台本を持っていくと、懐事情を察し『そない頼んでへんがな。何か買うんか?』と言いながらも台本を買い取っていただきました。『こんなん衣装買えるようになったのもありがたいことやね。みなさんのおかげやで。お客さんには笑いでお返しせなあかん。おなか抱えて笑っていただかないと失礼や』と常にお客さんに感謝していたのを思い出します。超多忙で車が遅れても、次の飛行機に乗れないと思うと、飛行機のほうが遅延していたり『なんでか間に合ってしまうねん』と言う方でしたから、旅立ちも予定どおりだったのかもしれません」(本多正識氏) 通夜は30日。葬儀告別式は31日、天神橋会館(大阪市北区)で執り行われる。