野村克也が語る「大阪球場」
張本が安打に徹した理由は大阪球場にあり?
大阪ミナミのナンバ駅近く、繁華街のど真ん中にあった大阪球場/写真=BBM
先週号は、球場特集。『追憶のロストボールパーク』には、南海ホークスの本拠地だった大阪球場(正式名称=大阪スタヂアム)も登場した。懐かしく読ませてもらった。 記事にもあったとおり、とにかく狭い球場だった。大阪のど真ん中、南海難波駅前のいびつな楕円形の土地に無理やり(?)建てたものだから、1971年までは両翼84メートルしかなかったという。ちなみに、今はほとんどの球場の両翼が100メートルだから、いかに狭いか分かるだろう。 おかげで、張本(張本勲=元東映ほか)には「あの狭い大阪球場をホームグラウンドにしているノムさんに、ホームランで敵うわけがない。俺はホームランをあきらめて、ヒットを打つことに専念するよ」と、散々冷やかされてしまった。 しかし狭い分、大振りしなくても打球はスタンドに入ってくれる。場外に飛ぼうがフェンスぎりぎりだろうが、ホームランはホームランなのだ。だからスタンスを狭くし、バットを短く持つこともあった。私にとっては、それが打率も残す結果になったと思う。 まあ、そうは言っても一応、大阪球場だって一度は両翼を広げているのだ。私の中にはフェンスを高くした記憶があったのだが、記録によると72年、南海難波駅改修に伴う工事で、両翼91.5メートルまで広げたという。「外野が広くなった」と聞いたときは、ショックだった。この工事のおかげで、私も確実に何本かはホームランを損しているはずだ。 一方、キャッチャーとしては、自軍投手が・・・
本文:1,959文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール