【パリ五輪】難民選手団へ東京から贈るエール 「衣装」に込めた選手への願いとは
「(当時)UNHCRのオフィスは渋谷にありました。(自分の存在を)見つけてくれたのも渋谷センター街。当時の雑誌出版社も渋谷にオフィスを構えていて、僕がビルボードに映った『109』も渋谷。初めてデザインの契約したのも渋谷でした!」 日本国籍を取得する際、名字を「渋谷」に決めたのも、それが理由だとザニーさんは語る。ザニーさんにとって渋谷という街は、必ず戻ってくる場所。“空母”のような存在だと話す。
■東京からパリへ…ザニーさんがこだわった“心の贈り物”
ザニーさんの人生に寄り添ってきた「ファッション」。いつしかそれは、仕事になっていた。現在はファッションデザイナーとして世界を股にかけ、活動するザニーさん。現在、行われているパリオリンピックを、ある特別な形で応援しようと考えている。 今回のパリオリンピックには「難民選手団」が出場している。リオデジャネイロオリンピック、東京オリンピックに続き、今大会で3回目の出場となる難民選手団には、過去最多となる37人の選手が参加する。ザニーさんは「難民選手団」の団長を務めるマソマ・アリ・ザダさんに、衣装をプレゼントすることになった。ザダさん自身もアフガニスタンからの難民だ。
衣装の色は、淡いピンク。アフガニスタンでよく知られているという「アフガンライラック」という花を彷彿(ほうふつ)とさせる色にした。また襟元には、ミャンマーの少数民族が職業訓練の際に作ったという貝殻でできたお花型のボタンをあしらった。ザニーさんこだわりのポイントの1つだ。
■衣装に込めた思い…難民を知る自分だからできる応援を
東京からパリへ、エールとして送られた衣装には、元難民のザニーさんだからこその思いを込めた。 「政治難民というバックグラウンドを持った自分が、自身の個性を保つのに手助けしてくれた『ファッション』を使って応援したい」 戦争や紛争が絶えない今の世界情勢の中でも、晴れ晴れとした気持ちでいられるよう思いを込めて仕立てたという。
また、ザニーさんは「難民選手団」がオリンピックに存在していることについても、こう話す。 「難民選手団がオリンピックに出なくなる… 個々の国で、自分が望む国家や国旗のもと出場するということが理想です。今回が3度目(の出場)で最後であってほしいんです。それが僕の想いです」 難民選手団の選手1人1人が、自国を背負い、国を代表して大会に参加できる――そんな世界を望んでいると語った。 ◇◇◇ ザニーさんは現在、故郷ミャンマーの学校、数百校にサッカーボールを贈るなどスポーツ支援を行っているという。 「スポーツってぜいたく品なんですよ。スポーツって人権、権利じゃないんですよね。“スポーツを楽しめる日常”というものが、平和の象徴だと思います」 戦争下で開幕したパリオリンピック。1人でも多くの選手が自国を背負い出場できる…そんな平和な世界を願って、ザニーさんはほほえんだ。