円安が怖すぎて…日本から海外への留学生数がもはや「韓国のたった4分の1」に低落!絶望的に開いていく日韓の「能力格差」
日本から海外への留学生数は、2004年頃から傾向的に減少している。ここ数年の円安の影響で、それがさらに加速されそうだ。韓国の留学生は、日本よりずっと多い。日本における人的資源の劣化は、将来の経済成長を大きく制約するだろう。 【写真】文在寅の「引退後の姿」がヤバすぎる…衝撃ショットを見る!
「円安が怖い」
円安のために留学が困難になっているという報道が相次いでいる。「円安もう怖い」とか、「留学もう怖い」という声があがっている。 日本から海外への留学生は、諸外国と比べてもともと少ないのだが、それがさらに少なくなってしまう危険がある。そして、留学できるのは、ごく一部の裕福な家庭に生まれた人だけの特権になってしまう危険がある。 海外で学びたいと希望する日本の若者は、世界中から見放されたような気がする。いや、気がするのでなく、実際にそうなってしまったのだ。 円安はさまざまな面で日本社会に深刻な影響を与えているが、留学に対する影響は、最も深刻な問題の一つだ。
1960年代、貧乏留学生の思い出
私がアメリリカに留学したのは、1968年。固定為替の時代で、1ドルが360円だった。 「いまは円安といっても1ドル160円台だから、60年代よりはまだまだ円高だ」という人がいるかもしれない。しかし、円の購買力で考えれば、その当時とあまり変わらないのだ。 では、60年代における日本からアメリカへの留学生は、どんな生活だったか? その当時勤務していた大蔵省での私の初任給は、月18000円程度だった。その後増えて、留学した時点では、月23000円程度になっていた。 ところが、留学先であるカリフォルニア大学ロサンジェルス校の周辺で、最も安いアパートの賃料が、月額100ドルだった。円に換算すれば36000円で、月給の1.56倍。 Studioという一部屋のアパートだったが、かなり広かったし、シャワーがあった。台所は隣部屋と共同利用だが、熱湯が出た。シャワーさえあれば台所で湯が出なくてもいいと思ったのだが(そのころの日本では、湯が出ない家庭が普通だった)、そのようなアパートはなかった。そして冷暖房完備(日本では、一般の住宅に冷房は普及していなかった)。 これ以下のグレードのアパートは存在しないのだ。カリフォルニア大学の周辺はウエストウッドという高級住宅地で、アメリカでも最も家賃が高い地域の一つなのだが、それにしても高い。 学費は奨学金でカバーできたが、食費などの生活費がかかる。私は日本では、初めて買った車を通勤に使っていたが、アメリカではとても買えない。ロサンジェルスに住んで車を持っていないとは、通学とダウンタウンに時々出かける以外には、バスを乗り継いで大変な苦労をしないとどこにも行けないことを意味する。 ダウンタウンの商店には、眼もくらむような豪華な商品が並んでいた。