若貴の「最強ライバル」……“ハワイの巨人”曙さん死去 平成の大相撲ブームでヒール役?…素顔は「優しい人」【#みんなのギモン】
■同期のライバル…「花の六三組」
小野解説委員 「そうでしたよね。そして何と言っても、若貴の最強のライバルとして知られています」 「平成の初頭、若貴フィーバーで大相撲は空前のブームになっていましたが、当時の若花田(若乃花)と貴花田(貴乃花)に立ちはだかる存在となったのが、身長203センチ、体重233キロ、ハワイの巨人・曙関でした」 小野解説委員 「その壮絶なライバル関係を物語る数字があります。曙と貴乃花の生涯対戦成績は、21勝21敗なんです」 忽滑谷アナウンサー 「勝ち負けがぴったり同じ数ですし、本当に互角だったんですね」 小野解説委員 「この3人は『花の六三組』と言われていたんです。昭和63年、1988年の春場所に初土俵を踏んだ同期のライバルです。この3人の他に元大関の魁皇もいます。もう本当に、大変な時代ですよ」 森アナウンサー 「私は小中学生だったんですけど、学校から急いで帰って取組を見ていたという記憶があります」 鈴江アナウンサー 「子どもたちも夢中になっていたんですね」 森アナウンサー 「それぐらい、本当に盛り上がっていたんですよね」
■スピード出世…初土俵から4年で大関
小野解説委員 「曙さんは、若貴ファンにとっては憎らしいほど強い存在として知られています。1988年のデビューから4年余りでみるみる番付を駆け上がり、大関に昇進」 「1993年の初場所では千秋楽で、当時の貴花田を圧倒して2場所連続優勝。若よりも貴よりも早く、横綱に昇進。最初に綱を締めたのが曙でした。その年の名古屋場所では、日本中が注目した、曙の強さを象徴するような戦いがありました」
■1993年名古屋場所“伝説の巴戦”
小野解説委員 「横綱が曙、大関が貴ノ花(当時)、関脇が若ノ花(同)。宿命のライバルの三者が一歩も譲らず、2敗で並んだまま、優勝決定巴戦になります」 「巴戦とは3人で行う決定戦で、もし曙が若貴に1つでも負ければ、当時まだ実現していなかった夢の若貴対決、兄弟対決になるということで、相撲ファンのみならず日本中が注目しました」 森アナウンサー 「大人も子どもも、みんな見てた!」 小野解説委員 「その最初の一番は、曙が若ノ花を圧倒します。そして迎えたのが、曙対貴ノ花の一番でした」 森アナウンサー 「今でも手に汗握っちゃう…」 鈴江アナウンサー 「力強い、息を吞むような取組でした。あの当時は若貴ブーム。アイドルのような人気だった若貴を応援している人は、みんな一気にため息でしたね」 小野解説委員 「この伝説の巴戦、瞬間最高視聴率は 66.7%を記録しています。曙の幕内最高優勝は通算11回。この時代を生きた人たちにとって曙関は、若貴を苦しめるヒール役というか憎まれ役というか…。どこか怖いという印象をお持ちだった方も多いかもしれません」