球界は2世球児に二の足!? 番長・清原和博の息子が「指名ゼロ」に終わった裏事情
清原クラスの"2世球児〟は過去にもいた。代表格といえば、ミスタープロ野球・巨人長嶋茂雄終身名誉監督を父に持つ一茂氏と、選手、監督の両方でただ一人3000試合出場を達成した故・野村克也氏の息子の阪神・野村克則一軍バッテリーコーチの2人だろう。 長嶋氏は87年、2球団競合(ヤクルト、大洋・現DeNA)のドラフト1位、野村コーチは95年ドラフト3巡目でヤクルトに入団。2人の共通点は、現役時代では目に見えた"結果"を残すことはできなかったことだ。 一茂氏は「ヤクルトに野村監督が就任してから、一気に出場機会を失いました。親父(長嶋茂雄氏)のところで野球をやらせるのがいいと、巨人移籍のきっかけを作りました」(当時の巨人担当記者)。野村コーチは「父である野村監督から"実力的には無理"とダメ出しをされていましたが、それでも俺はプロに行きたいと話していました」(前出記者)。両者とも偉大な父の威光による"縁故入団"などという厳しい見方をされたこともあった。 こうした2世球児の実績が、清原が指名漏れになった理由のひとつといえるかもしれない。 「一茂氏や野村コーチの時のように結果が出なかったら、本人以上に球団も叩かれるリスクがある。12球団では話題先行型の選手はもう求めていないということですね」(民放局野球担当ディレクター) ロッテの佐々木朗希のように「ドラフト入団して何年か在籍後にメジャー移籍を視野に入れる選手も出てきました。球団としてその移籍金を目当てに獲得に踏み切るケースも増えた。父親の威光や話題先行で獲得することはもはや完全になくなったといえるでしょう」(同ディレクター) 失意の清原だが、11月9日、10日に行われた東京六大学野球秋季リーグの早慶戦では、本塁打を含む活躍を見せ、2連勝に貢献した。独立リーグ入団説や就職説も囁かれるなか、栄光から挫折までドラマチックなその歩みでもファンを魅了した父同様、ここからの下克上を見てみたい気もする。 文/高倉仁作 写真/関西大学野球部、明治大学野球部、