田中圭の演技の真骨頂、奈緒の変幻自在の俳優魂が堪能できる会話劇「Medicineメディスン」
コットンのパジャマを着た男性が、ある一室に入室する。前夜行われたであろうパーティーの残骸がそこかしこに残る部屋。そこに次々現れるのは、老人の仮面を被った女性、そして巨大ロブスター、物言わぬドラマー。この4人が繰り広げる、不思議な会話劇「Medicine メディスン」が9月29日(日)、衛星劇場にて放送される。 【写真を見る】パジャマ姿の主人公を演じる田中圭。映像世界とは異なる役者の顔を舞台で見せる 2021年、アイルランドの劇作家エンダ・ウォルシュにより英国内で初演され、同年ニューヨークにも進出した本作は、初演時から瞬く間に世界の演劇界を席巻した。それが翻訳劇として白井晃演出のもと、2024年5月&6月に東京・世田谷ほか全国4都市で上演された。白井は過去にもウォルシュの「バリーターク」や「アーリントン」の日本版を演出しており、3作目となる本作では、2008年の「偶然の音楽」以来3度の起用を経て信頼を寄せる俳優・田中圭を中心に、奈緒、富山えり子、ドラム奏者の荒井康太の4人からなる会話劇を練り上げた。 田中が演じるのは、パジャマ姿の男性、ジョン・ケイン。緊張の面持ちで入室した彼は、宴の痕跡に失望し、文句を言いながら片付け始める。次に現れる「老人」は誰かと電話で連絡を取り合っているが、それによりドラマーが遅れてやって来ることがわかる。三番目に現れるのは、ロブスターの着ぐるみを被った女性。女性2人の会話によると、2人は俳優の仕事をしているらしい。そして、名前はともにメアリー。老人の格好をして現れたメアリー1を奈緒が、ロブスターとして現れたメアリー2を富山が演じている。 こんな調子で、物語の輪郭は常にぼんやりしており、観る者は演者たちのセリフを頼りに世界に対する推察を巡らせていく――ここがおそらく精神病院だということ。ジョンが緊張しているのは、この日が年に1度の演劇療法の日で、毎回その日に、今後もこの施設に残るかどうかが審査されるようだ、ということ。2人のメアリーは、その演劇療法において、ジョンの口述した半生の音声記憶を基に芝居として再現し、演じる役割を担った俳優なのだということ。そんな推察すら事実とは限らない、という曖昧さを常にはらんだ状態で、舞台は進行する。 観客をそうやって宙ぶらりんに置いた状態で、ジョンの人生回顧は進んでいく。両親に育児放棄されたこと、学校でいじめを受けていたこと、教会で起こしたある事件により、この施設に入れられたことなどが、目まぐるしいセリフ量とスピードで再現されていく。 難解な不条理劇と評される本作だが、このシリアスな設定に反比例するように、懐メロを中心とした明るい洋楽を背景に登場人物が口パクで歌い踊る、まるでミュージカルのようなパートすらある。 メアリー1を演じる奈緒は、膨大なセリフを操り、担当する「役」を老若男女問わず次々と乗り換え、その度に演技プランを変えていく。そしてメアリー2と目的を同じくする役割であるはずの彼女が、実は葛藤を抱え、「役者」に徹することに抵抗を感じていることが透けて見えてくる。 「役」と自分の間に揺れる本音が、目線から、指先から、漏れ出ているのを感じさせる奈緒の演技もまた、やはり「芝居」である。本作は、そうしたメタ構造自体を存分に利用している。奈緒という、なんでも器用に自分の役にしてしまう天性の「俳優性」をもつ自身のキャラクターすら、物語の一部として機能してくるのだ。 対する田中は、眼の前で再現される忌まわしき「過去」を、まるでいま起きている現実のごとく受け止める。そして時間軸が薄れゆくなか、もともとは作家志望だったというジョン自身の人生、そして気持ちのありようが、自身の声で語られた「物語」として客体化していく。これらすべてを受け止めおののく芝居こそ、田中圭の真骨頂。彼がこの場所においてこんな扱いを受けるならば、誰だって同じだろう――そう信じさせる普遍性が、彼の演技には漂っている。 支える共演者もまた魅力的だ。メアリー2を演じた富山えり子は、強烈なキャラクターで場を支配するうえ、役の抱える密かな葛藤も繊細に描出する。「ドラマー」役の荒井康太は伝統太鼓の奏者として活動する本業人。芝居に合わせたアバンギャルドなドラミングで、3人の間のただならぬ緊張感を浮き上がらせる。 なぜこの施設では演劇療法(のようなこと)をしているのか。それは本当にジョンの「治療」なのか? メディスン(薬)とはなんなのか?――劇作家はこれらさまざまな問いに、明瞭な答えを導くことはしない。だがこの芝居にほぼ即興で伴奏するドラマーのように、結末まで共に走り抜けた時、うち棄てられた人々に向けられた温かな眼差しが心を包み込むだろう。そして劇中の田中圭、奈緒ら俳優陣の圧倒的な演技も堪能してほしい。 文=magbug
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