舟越桂の名言「作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。西洋でメジャーな体全体の表現とは一線を画す、木彫半身像の作品で知られる彫刻家・舟越桂。その芸術観について、大量のメモ書きを残してきました。 【フォトギャラリーを見る】 作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、それに自分が答えたものであるはず。 主にクスノキを彫り、大理石の目を嵌め込んだ彫像はどれも印象的な表情をしている。その大きな理由は目にあるそうで、実は両眼が微妙に外側に向けられている。遠くの、ここではないどこかを見つめているような視線をもたらしているのだ。こうした制作のさなかに舟越桂は大量のメモを書きつけている。ペンは主に青か黒のボールペン、紙は名刺大から大きくともせいぜいポストカード程度。日毎につける日記よりも小さな、時々の感慨がさっと書きつけられている。 「作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、それに自分が答えたものであるはず。」というのも、そのひとつ。「はず」と、自らに言い聞かせるような小さなメモ書きたちは、制作の孤独を強く感じさせる。このことを引き継ぐように、次のような言葉も。「失敗した作品から、その問題を抽出し、それを克服するための勉強プランを作り、そのプランを地道に解消していく事。」。 一方で、舟越とほかの芸術家の精神的な繋がりを感じられるのが、また面白くもある。例えば、82年11月8日のメモ。「西村画廊が個展をしないかと言ってくれた(中略)ホックニーとかフロイトらのやった画廊でぼくがやるなんて信じられない」。ここから約20年後、2002年9月22日にはこんなことを。「ピカソやホックニーのやったことは、人間を、この世界をどんな見方でみるのか、どんなスタイルで表現するか、が常に絵の中にある。」。彫刻に止まらない「勉強」こそが、舟越の彫像を「作品」たらしめたのだ。
ふなこし・かつら
1951年岩手県生まれ。父は彫刻家の舟越保武。82年に初個展を開催。85年以降は日本橋・西村画廊を中心に作品を発表した。ヴェネチアやシドニーのビエンナーレ、ドクメンタへの参加など、広く世界で活動した。その作品はイタリア文学者で翻訳家、随筆家としても知られる須賀敦子の著作などをはじめ、多数の表紙に使用されているほか、大江健三郎の作品では挿画を描いた。2024年死去。生前に準備を進めていた〈彫刻の森美術館〉での展示『舟越桂 森へ行く日』が11月4日まで開催中。
photo_Yuki Sonoyama text_Ryota Mukai illustration_Yoshifumi T...