「セガサターン」30周年!「セガサターン、シロ!」。あの衝撃は今も新しい
「脳天直撃セガサターン」。 あれから30年。このキャッチコピーは今でも多くのゲーマーの記憶に鮮明に残っているだろう。当時、このフレーズを聞いて「何が脳天を直撃するのか」と首を傾げた記憶はあるものの、「セガサターン」という次世代ハードウェアの登場は、確かにゲーマーたちの脳天を直撃する衝撃を持っていた。 【この記事に関する別の画像を見る】 セガサターンで印象深いのは、当時のテレビCMだ。「セガサターン、シロ!」というフレーズで一世を風靡した「せがた三四郎」。藤岡弘、さんが演じる破天荒なキャラクターは、視聴者の心を掴んで離さなかった。白い柔道着を纏い、時にコミカルに、時に真剣にセガサターンの魅力を伝えるそのCMは、テレビの前のゲーマーはもちろん、お茶の間を惹きつけていたことだろう。 ハードウェアとしても、セガサターンは革新的だった。セガにとって初めてのCD-ROMを搭載したゲーム機として、その大容量を活かしたムービーやフルボイスといった新しい表現方法を実現。従来のカートリッジ式ゲーム機では実現できなかった表現の幅を大きく広げたのである。 そんなセガサターンだが、1994年11月22日の発売から30年という時が流れた。いまや平成のゲーム史を語る上で欠かせない存在となったセガサターン。本稿では、当時のゲームファン、そしてセガファンの心に深く刻まれたこのハードウェアの軌跡を、ハード面、ソフト面、そして「せがた三四郎」というキャラクターから、振り返っていきたい。 ■ 6つのボタンから見るコントローラーへのこだわり セガサターンを語る上で、まず特筆すべきはそのコントローラーデザインだ。当時の主要な家庭用ゲーム機であるスーパーファミコンやプレイステーションが、右手で操作する部分に菱形の4ボタン配置を採用していた中、セガサターンは異なるアプローチを取った。3つのボタンを横一列に並べ、それを2段重ねにした6ボタン配置である。 この独特な配置は、一見すると扱いづらく映るかもしれない。しかし、これには明確な意図があった。「弱」「中」「強」という3段階の攻撃ボタンを横一列に配置するアーケードゲームの操作系を家庭用に踏襲したのだ。 「バーチャファイター」シリーズなどで世界的な注目を集めていたセガならではの決断だったと言える。実際の操作性も優れており、格闘ゲームファンからの支持を集めることになった。 また、セガサターンの特徴的な点として、複数の互換機が市場に投入されたことも挙げられる。セガサターン自体にも初期型と後期型という世代差があり、ハードウェアの色調なども異なっていたが、それに加えて日本ビクターからは「Vサターン」、日立製作所からは「Hiサターン」が発売された。当時のゲーム市場の活況を象徴するように、ゲーム専業メーカー以外からもゲーム機が登場していたのである。 筆者自身も「Vサターン」のユーザーだった。当時は各機種の細かい違いを意識することはなかったが、のちにゲーム業界で仕事をするようになり、改めてこれらの互換機という存在や、互換機が発売された当時の時代背景について考えを巡らせることが多くなった。 複数メーカーが互換機を展開するという状況は、まさに90年代中期における家庭用ゲーム機市場の熱狂を物語っているのである。 ■ 伝説となった男「せがた三四郎」の軌跡 1990年代中期のゲーム業界においては、テレビCMは重要な宣伝手段だった。特にこの時期はより印象的でより記憶に残るようなテレビCMを各社が多数作っていた ゲームの特徴的な部分を切り取り、独創的な演出で視聴者の心を掴むーー。そんな時代にあって、セガサターンの「せがた三四郎」は群を抜く存在感を放っていた。 「せーがた三四郎、せーがた三四郎、セガサターン、シロ!」 この印象的なフレーズは、30年近くが経過した今でも多くの人々の記憶に鮮明に残っているのではないだろうか。白い柔道着姿の藤岡弘、さんが、時にコミカルに、時に真摯にゲームの魅力を伝えるCMは、子供から大人まで幅広い層の心を掴んだ。 現代のコンプライアンス基準では放映が難しいと思われるエピソードも含まれていたが、そのインパクトと独創性は視聴者の心に深く刻まれることとなった。 特に筆者が印象に残っているのは、スピードスケート選手との対決を描いたCMだ。スケートリンクの上で、選手はスケート靴を履いているのに対し、せがた三四郎は素足で全力疾走する。 さすがに「特殊効果に違いない」と考えていたが、後年明らかになった撮影秘話によると、藤岡氏は実際に素足で氷上を走っていたという。そのストイックな姿勢で作り上げられた「せがた三四郎」というキャラクターは、30年の時を経ても色褪せることのない輝きを放っている。 そして、「せがた三四郎」の物語は壮大なフィナーレを迎えることとなる。セガの次世代機「ドリームキャスト」の発売を阻止すべく、セガ本社にミサイルが打ち込まれるシーン。 せがた三四郎はこれを受け止め、ミサイルに掴まったまま軌道を変更。「セガサターン、シロ……!」という言葉を残し、宇宙空間で消えていく。この展開が当初から計画されていたかは定かではないが、セガの新たな挑戦のために自らを犠牲にする姿には感動させられたものだ。 ゲーム機のプロモーションキャラクターでありながら、独自の物語性と説得力を持った存在へと昇華した「せがた三四郎」。それは単なる宣伝を超え、ゲーム文化を、そしてセガを象徴する1つの伝説となったのだ。 ■ 時代を超えて愛されるセガサターンの至宝 セガサターンを語る上で、その豊富なソフトウェアラインナップは特筆に値する。なかでも「サクラ大戦」シリーズは、セガサターンを代表する作品として多くのファンの記憶に残っている。 マルチクリエイターの広井王子氏がプロデュースした「サクラ大戦」は、独創的な世界観とゲームシステムで多くのプレイヤーを魅了した。主人公の大神一郎は、平時には少女劇団「帝国歌劇団」の総監督として、戦時には秘密部隊「帝国華撃団・花組」の隊長として活動する。「真宮寺さくら」「神崎すみれ」「マリア・タチバナ」「アイリス」「李紅蘭」「桐島カンナ」という個性豊かな6人の隊員たちとともに、物語は展開していく。 本作の特徴は、見下ろし型のターン制バトルと恋愛シミュレーション要素を組み合わせたハイブリッドなゲームシステムにある。戦闘パートでの緊張感と、日常パートでのキャラクターとの交流が絶妙なバランスを保ち、プレイヤーの感情移入を深めていく。そして、キャラクターとの関係性によってエンディングが変化する。こういった一連の流れが上手く繋がっていた。 「サクラ大戦」の成功を受け、シリーズは「サクラ大戦2 ~君、死にたもうことなかれ~」へと続き、後にドリームキャストへと展開。近年ではプレイステーション 4で「新サクラ大戦」も発売され、舞台化など様々なメディアミックス展開も果たした一大IPへと成長している。 また、「NiGHTS into dreams...」も、セガサターンを代表する独創的な作品として挙げられる。夢の世界を自在に飛び回る主人公「ナイツ」の動きは、プレイヤーに独特の浮遊感と解放感を与えた。 ボス戦やタイムアタック、スコアアタックといったゲーム的な要素も備えつつ、幻想的な世界観とその自由な飛行システムこそが本作最大の魅力だった。後に発売された期間限定版「ChristmasNiGHTS」では、本体の日付データに連動してゲーム内容が変化するという仕組みが導入され、クリスマスバージョンの一部ステージを楽しむことができた。 そして、「バーニングレンジャー」もまた、強い個性を放つ作品として記憶に残っている。消防士として火災現場に立ち向かう3Dアクションゲームという独特の設定に加え、空中移動要素を活かした自由度の高いアクションが特徴だ。 しかし、本作の魅力はゲームプレイだけにとどまらない。キャラクター同士の熱い掛け合いや、"世界一歌の上手いサラリーマン"として知られる光吉猛修氏が歌う本作のオープニングテーマ「Burning Hearts ~炎のANGEL~」は、今なお多くのファンの心に残る名曲だ。 実は、筆者はドリームキャストの「Phantasy Star Online」に登場したクエストを通じて本作の存在を知った。その意味では「純粋なセガサターンファン」とは異なる視点かもしれないが、それでも「バーニングレンジャー」は特別な思い出として心に刻まれている。今では珍しいことではないが、コラボレーションを通じて別の作品と出会うというのも、新鮮な体験だった。 振り返れば、あのタイミングはゲーム表現の大きな転換点だった。 プレイステーション、PC-FX、3DO REALといったCD-ROMを採用したこれらのハードも1994年生まれだ。ドット絵とチップチューンの世界から、実写に迫るグラフィックスと本格的な音声収録による表現へ。その革新的な進化は、それまでのゲーム体験を知るプレイヤーたちの期待を大きく超えるものだった。 セガサターンも、それまでのゲーム表現の可能性を大きく広げた。それまでのカートリッジ式ハードウェアでは実現できなかった豊富なボイス収録、華やかなムービー演出など、次世代のゲームエンターテインメントの姿を我々に示してくれたハードだった。 あれから30年。「脳天直撃」という刺激的なキャッチコピーとともに登場したセガサターンが放った衝撃は、今なお多くのゲーマーの心に深く突き刺さったままだ。それは単なるノスタルジーを超えた、ゲーム史に刻まれるべき重要な転換点だったのである。 (C)SEGA
GAME Watch,咲文でんこ