大谷翔平、監督の目を盗み“サク超え連発”伝説…花巻東同級生が明かす「高校通算56本塁打」の本気を見た日「引っ張れば200本でも打てた」
高校通算「56本塁打」の真実
大谷が高校3年間で積み上げた本塁打数は56。花巻東の後輩である佐々木麟太郎(米スタンフォード大)の140本には遠く及ばない。ただ、山根さんは「翔平の凄いところは、練習で気持ちよく打たないところ」だという。 「練習で引っ張っているのを見たことがありません。練習試合でも、左方向に打つように意識してやっていました。だから本塁打が出にくかったと思います。全部右方向に引っ張れば、多分100本でも200本でも打てたでしょうけど、それをしなかったというのは、やっぱり賢いし、高校生ではあまりできないことですよね」
フルパワーの打球を見た日
ただ、一度だけ、「打者・大谷翔平」のフルスロットルを見たことがある。3年春のセンバツ前。日本生命の千里山総合グラウンド(大阪府吹田市)で打撃練習をしていた時だ。佐々木監督や流石裕之部長らは記者の対応に追われ、打撃ケージの周囲には誰もスタッフ陣がいなかった。そこで大谷が「ちょっと気持ちよく打とうか」と提案。凄まじい金属音とともに放たれた打球のほとんどが、両翼100メートルの右翼フェンスをはるかに超え、防球ネットに突き刺さった。 「凄かったです。全部ライトに引っ張って、ほぼフェンスオーバーでした。やっぱり、あっち(右翼)にも打てるんだなと(笑)」 山根さんは、あっけに取られながら打球の行方を追っていた。当時は花巻東の4番手投手で、2年夏に続きセンバツもベンチ外。まさか自分が、このグラウンドを本拠地とする日本生命に入社するとはこのときは知る由もなかった。
大谷は「長距離打者ではなかった」
迎えたセンバツ1回戦。大谷は、後に春夏連覇を達成することになる大阪桐蔭との一戦で、2回の第1打席、藤浪晋太郎(現ニューヨーク・ メッツ)のスライダーを引っ張り込み、右翼席へと放り込んだ。どよめく甲子園。だが、山根さんに、それほどの驚きはなかった。 「打つだろうなとは思っていました。結構データを集めていて、藤浪投手は基本、真っ直ぐとスライダーの投手だったので、一人にスライダーを2、3球投げたら、1球は甘く来るぞと。それを逃さなかったというのはあると思います」 打ったカウントは2ボール2ストライクからの5球目。直球、スライダー、スライダー、直球と続き、勝負球のスライダーが、真ん中に来た。データ通りに甘く入ったが、それを打ち返す大谷も、やはり凄い。 山根さんは当時の「打者・大谷」を「長距離打者ではなかった」と評するが、それは左翼から中堅までの45度の打球で判断したもの。中堅から右翼の45度へ飛ぶ打球は、まさしくアーチストの放物線だった。
【関連記事】
- <つづきを読む>大谷翔平は「書かずに勉強していた」花巻東の同級生・山根大幸が振り返る高校生活、その後の野球人生「引退を報告すると翔平からは…」
- 【写真】「こんな表情するんだ…」坊主頭姿で涙を見せる高校3年の大谷翔平、栗山監督との「運命の出会い」も…高校時代の写真を見る
- 【秘話】「プライド持てよ!」大谷翔平はなぜ“初めての日本代表”で一喝された?「今思えば、あの謙虚さが…」仲間たちが語る18歳大谷翔平の素顔
- 【大谷を倒せ】大谷翔平18歳がいた花巻東は“なぜ負けた?” 岩手のライバル校監督が明かす“仮想大谷の7日間”…選手の声「やってきたことは間違いじゃなかった」
- 【聖地巡礼】大谷翔平も菊池雄星も佐々木麟太郎も育った“ナゾの高校野球の町”「JR花巻駅」には何がある?「“消えた”レアな鉄道、閉店した百貨店…」