金承福さん 韓国から留学して暮らした日本…出会った開高健の短編は「体に染み込んだ」
『珠玉』開高健著(文春文庫) 電子版のみ
留学生として海を渡ったのは1991年のことだ。日本語は全く分からず、日本語学校に通った。「本当に『あいうえお』からだったのですが、その国に来て学ぶから、どんどんうまくなる」。文学が好き、本が読みたい――。そんな話を授業中にしていたからだろうか。数か月経(た)ったころ、日本語学校の先生が1冊の本をプレゼントしてくれた。『珠玉』だった。
開高健(1930~1989年)の絶筆となった短編集は、宝石を巡る3作を収める。その中でも、「掌(て)のなかの海」にひかれた。作中の小説家は、酒場で〈初老に近い〉医師と知り合う。息子は、趣味のスキューバダイビングの道具とともに行方不明となったという。消息をたずねる中で自らも船医となり、海の上で暮らすようになった。アクアマリンの澄んだ輝きとともに、その思いが描かれる。「アジョシ(おじさん)の深い悲しみを思うと、胸が熱くなった」
日本語を学び始めたばかりの留学生にとって、決して易しい文章ではなかった。それでも、「体全体に染みこむような作品でした。日本語が自由に読めなくても、その悲しさは分かった」。この魅力を韓国の友達に伝えようと、開高のことを手紙に書き、自分でも何度か韓国語に訳してみようとした。「彼の文章はもうちょっと年をとってから訳さないと、行間、単語と単語の間にあるものがつかめない。表現は難しいと、20代の頃に実感しました」。その後も何度かチャレンジしているが、いまだにうまくいかない。
本を手にした時に、作家はすでにこの世を去っていた。それでも、開高に憧れて、その言動をしばしば真(ま)似(ね)したこともいい思い出だ。「(生活のための)『ライスワーク』ではなく、お金の心配をしないで、ライフワークとして開高健を訳して暮らす。そんなことを考えたこともありました」と振り返った。
日本語学校を卒業してからも、本をくれた先生としばしば会った。喫茶店で日本語と韓国語を交換で教えあったこともあった。韓国の中学校や大学時代の恩師とも仲がいい。日大時代に指導を受けた作家の中沢けいさんとは、現在も交流が続いている。
「ハッピーな人なんです。いい出会いがずっとつながっている」(川村律文)