佐々木朗希、高校時代に語った哲学「誰かが敷いたレールだけを歩むのは」メジャー挑戦は生きざま
<とっておきメモ> ロッテは9日、佐々木朗希投手(23)のポスティングによるメジャー挑戦を容認すると発表した。 ◇ ◇ ◇ 佐々木のメジャー挑戦は彼の生きざまそのものだ。大船渡高時代に「こういう生き方はしたくない、というものは?」と尋ねた。そう口数が多くない18歳の哲学は、声色にもブレが一切ないものだった。 「与えられた、というか誰かが敷いたレールだけを歩むのは。自分の意志を大切にして生きる、というか。自分なりの生き方を生きたいなと思います」 9歳の時、東日本大震災で父らを失った。避難所生活を経て、仮設住宅に住んだ。母陽子さんは背を伸ばすための早寝方針以外は、優しかった。それでも「普通の子ども」よりは間違いなく“条件”が多い中で育った。不満を口にせず。 ロッテ入団後、外国人選手との交流を尋ねた。「自由だな~と思います」とうらやましがった。佐々木も高校では自由だった。右尻のポケットにいつも“尻尾”をぶら下げた。近所のコンビニの景品でもらったスヌーピー柄の赤いスポーツタオル。「練習の時はいつも入れています。何かと便利なので」。汗をふいたり、ストレッチに使ったり。注目を浴びる3年夏の大会でも、ブルペンでは尻尾を生やしていた。 5枚程度をカバンに入れてロッテに入寮したが、いつしか尻尾を生やさなくなった。それがプロ、それが新人選手、またはそれが大人になるということ-。誰かに指摘されたのだろう。でもアイデンティティーが失われ、世間というレールを進み始めたようで、寂しさを感じさせられた。 160キロ台を通算300球以上も投げた日本人なんていない。見慣れた物差しで測れない個性が、自由の国で舞う。17歳にして校内のカナダ人講師に英語でぐいぐい切り込んだ青春の学びも、いざ本領発揮の時か。いばらもなんぞ、踏み越えて。なんならまた尻尾を生やして、愛されてほしい。【19年アマチュア野球担当、20~22年ロッテ担当=金子真仁】