パリから2年後のW杯に。攻守の要だった3人はどう育った? 「1ミリ」細谷真大、国防レオブライアン、三戸ちゃん、それぞれの少年時代
ピッチの中でひときわ小さいが、素早く動き、ゴールを決める。1次リーグのパラグアイ戦で2ゴールを挙げたミッドフィルダー(MF)の三戸舜介(21)。小柄ゆえに周囲との体格差に悩んだ時期もあった。父修以知さん(48)の励ましで「負けない」と奮起。ファン、サポーターから「三戸ちゃん」と愛される存在になった。 「運動神経は良かったと思う」と修以知さん。保育園の運動会で逆上がりをすると、15回連続で回って保護者らを驚かせた。小3で地元・山口県宇部市の原サッカースポーツ少年団に入団。監督の中松豊さん(60)は「センスが良く、教えたらすぐにできるようになった」と話す。 中松さんは「パスを選択するな」と指導し、ドリブルの技術を磨いた。チームの中心選手になり、小6で主将を任された。同郷の女子選手が在籍していたことを知ったのをきっかけに、小学校を卒業するとJFAアカデミー福島に進んだ。 ▽「今の間に負けないように」
修以知さんによると、小学校卒業時の身長は140センチ以下。中学生になるとフィジカルの差から試合に出られない時期があった。落ち込み、電話をかけてきた息子に問いかけた。 「おまえが170センチになった時、他の選手に負けるか?」「負けん!」ときっぱり答えた三戸に「今の間に負けないように頑張れば、大きくなった時に負けないな」と伝えた。 身長は164センチまでしか伸びなかったが、Jリーグアルビレックスでプロに。人気女性アナウンサーの愛称を意識してか「三戸ちゃん」の相性が定着し、ファンに親しまれた。23年末に海外移籍を発表。三戸はその身長に「プロに入ってからも悩んだことがあった」と率直に明かす。一方で、「小ささを生かしたプレーが海外で通用している部分もある」と胸を張る。 パリ五輪を戦った代表チームは2022年にもスペインと対戦。その時三戸は「世界を感じた」と振り返る。時を経て再戦した五輪では「自分も成長したと思ったが、また差を感じられた」と悔しさをにじませ、「次につなげていきたい」と前を向いた。 ▽1人でも多く「サムライブルー」に
準々決勝のスペイン戦後、チームを率いた大岩剛監督(52)は「サムライブルー(フル代表)に1人でも多く入ることが望み」と語り、「チャンスがあればスペインに勝ってもらいたい」と選手たちの将来を嘱望した。 五輪までのおよそ2年半、喜びも悔しさも経験した選手たち。これから先の活躍を楽しみにしたい。