【ランキング】増える女性社長 13年で3倍に、輩出数1位の大学は?
好きなことがわかり合う仲間がいる
大学生活は毎日が刺激的でした。 「当時の日芸の学生は企業に就職するよりも、個人事業主などとして『好きなことで食べていきたい』という意識の強い人が多かったです。俳優や歌手、ラジオのパーソナリティーなどで、すでに活躍している学生もいました。だれにも『好きなこと、好きなもの』があり、それを話すと『わかる』と言ってくれる日常があるのは素敵でした。価値観はさまざまで、自分の意見を批判されたり、意見がぶつかったりすることは当たり前。個性の強い仲間たちと過ごす中で、心が強くなるとともに、やりたいことが明確になったと思います」 1年の終わりには、転科試験を受けて文芸学科から放送学科に移動しました。 「常にラジオに支えられていたので、ラジオのコンテンツ制作をどうしてもやりたくなったのです。転科試験は難しく、成績もよくないと合格できないので入学後はひたすら勉強を頑張り、成績優秀賞をいただくことができました」 なお、井上さんは卒業時には学部長賞も受賞しています。大学で成果を出すという両親との約束をきっちり果たすことができました。 放送学科は、ラジオ番組の制作をはじめ、実習の授業が多く、座学もプレゼンテーションが中心でした。当時、起業については全く考えていなかったものの、「アウトプットの授業が多かったことは、今の仕事につながっています」といいます。 「大学では『自分が面白いと思うコンテンツを作る』ことで満足していましたが、それがかなうと『他者に評価されたい』という気持ちが強くなりました。これが卒業後に入社した会社での活動につながり、やがて『自分の力を試したい』という気持ちから社内ベンチャーに応募して、起業という流れになりました。振り返ってみても、今の仕事のベースと考え方は大学時代にあったと思います」 現在、井上さんは「会社の時価総額をアップさせて世の中に認められたい」と考えています。家族は今では井上さんを全面的に応援してくれる大切な存在になっています。