《没後10年でついに…》高倉健さんの遺骨が里帰り 晩年に寄り添った養女は分骨を一時拒否、関係者の協力で一部がふるさと筑豊へ
分骨を申し込むも養女は一時、頑なに拒否
美しく献身的なイメージの貴月さんだが、健さんの死から一貫して、彼の親戚たちとは距離を置いている。いまだ直接の面識は一度もなく、やり取りもすべて弁護士経由だ。 「貴月さんは、敏子さんをはじめとする親戚に健さんの死を伝えることなく、ごく一部の映画関係者などだけを呼んで葬儀や火葬を済ませてしまった。 九州に住む親戚が『小田家の菩提寺で、母親思いの健さんとお母さんを一緒に眠らせてあげたい』と分骨を申し出ると、“遺骨は故人の遺志で散骨する”といって頑なに拒否し、あげく『貸し出しなら許す』と通達してきました。一方で、密葬に参加した関係者には、“みなさんにお骨もお持ち帰りいただきたい”と提案したそうです」(前出・森さん) 生前、地元・中間市に小田家の墓を建て、鎌倉の霊園では前妻・江利さんとの水子を供養するなど、信心深かった健さん。貴月さん以外の遺族は、長く遺骨の存在がわからないまま健さんの供養をしてきたが、転機が訪れたのは4年前のことだった。 「七回忌を機に、健さんの密葬に立ち会った映画会社・東宝の島谷能成社長(現会長)が、貴月さんから分骨されたご遺骨を敏子さんたちにお渡ししたのです。これで、親族もファンも健さんのご遺骨に手を合わせることができるようになりました。 さらに今回は、長年、健さんの事務所である高倉プロに勤め、密葬にも参列していた関係者から『10年の節目にお預かりしてきたご遺骨をご遺族にお戻ししたい』との申し出があり、散り散りになっていたご遺骨の一部が健さんのふるさとに戻ってきたのです」(前出・森さん) () ※女性セブン2024年11月28日号
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