日航機墜落から30年 残された課題と謎 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
事故原因とさまざまな憶測
これまで引用してきた通り、航空事故調査委員会の報告書では圧力隔壁が破損を遠因としています。金属の疲労亀裂が進行して圧力隔壁が破壊されたと。事故機は1978年に伊丹空港で離陸の先に尾部が滑走路へ接触した「しりもち事故」を起こしていました。その修理に当たったボーイング社の修理ミスが事故を引き起こした原因であり、見逃していた日航などの管理も「不適切な点があった」と明記しています。修理の指示通りに作業が行われなかったため強度が7割程度に止まり、その後の飛行で疲労亀裂が進んだのが事故の引き金になったと結論づけました。ボーイング社も報告書の指摘を認めた上で陳謝しています。 一番多いのが圧力隔壁主因論への疑問です。もしそうであれば客室に霧が立ちこめるなどの急減圧を示す現象が起きるはずなのに、そうした形跡はなかったという指摘です。仮に圧力隔壁主因論が不成立に終われば、原因は「なぜ垂直尾翼が破損したのか」の説明がつきません。証明するために必要な垂直尾翼がほとんど回収されておらず、原因究明に欠かせない努力が足りないという声もあります。 毎日新聞2000年8月6日付朝刊は「日航機墜落事故の資料を廃棄、『保存期間切れた』--運輸省事故調、昨年11月に」という記事を発表しています。それによると航空事故調査委員会が、事故原因の報告書作成に用いた資料を廃棄していたとのこと。01年4月の情報公開法施行を控え廃棄したと記事は推測しています。 廃棄されたのは日本航空など関係者の聴取メモや目撃者らの口述調書、金属疲労の分析結果、ボイスレコーダーの解析結果などで、他の事故関連資料も含め合計で1トンを超えるとみられます。事故調事務局によると、関連資料の保存期間は10年と文書管理規程に定めており、廃棄自体は規程には触れないと。これだけの事件のいわば「証拠」が消されているとなると何かを隠ぺいしているのではないかと勘ぐられても仕方ありません。 法廷での真相解明もできませんでした。88年12月、群馬県警が日航、ボーイング社、運輸省の計20人を業務上過失致死傷容疑で前橋地方検察庁に書類送検しました。別途、遺族側が告訴・告発した者を含む31人は89年11月全員不起訴。最大の理由はボーイング社からの事情聴取ができなかったからとしています。アメリカの場合、航空機事故などが起きると再発防止のため、摘発より司法取引して真実を明らかにするのが一般的で、その制度のない日本では難しかったのです。 検察の不起訴処分が納得できない時に審査を申し立てられる機関である検察審査会は2人を「不起訴不当」と議決しました。検察も再捜査をしたものの、90年8月に公訴時効(5年)が成立してしまいます。