栗山監督が過保護にかばう大炎上の斎藤佑樹は本当に復活へ向かっているのか
それでも昨年は未勝利のピッチャーである。ブルペンとマウンドのボールの質が一致しないというメンタルの問題は深刻だし、栗山監督が評価するほどボールに球威も変化球のキレも戻っていない。ウィーラーに当ててしまってからは、打者のインサイド攻めに遠慮が見えたし、攻めの配球やコントロールの向上も見られなかった。それだけに栗山監督の援護コメントには違和感を覚えた。 パ・リーグの野球に詳しい評論家の池田親興さんも厳しい見方をしている。 「確かにトレーニングの効果からかフォームの重心が下がり、ステップの歩幅も出て、それによりボールの質は多少良くなっているようには見えた。ただ、それが打者にとって嫌なものかどうかが問題。もともと膝下に落とすフォークや、ツーシーム、カットなどが得意のピッチャーだが、怖さがないので、どんどん踏み込んでこられる。そのためにはインハイやシュートなどの球威のあるストレート系のボールで打者へ恐怖心を与えておくことが大事なのだが、この日も疲れやエラーの不運はあったものの、まったく楽天の打者は恐れることなく、踏み込んで振られていた。 ウイーラーに当てた死球も狙いがあったものでなく抜けたボールだった。意識的にギリギリを攻めて、結果、当ててしまいました、その後、その残像で打者を抑えました、という内容ならば、評価はできるが、今日の内容には見るべきものはなかった。これまでと打たれ方、崩れ方が一緒なのも問題。もっとバットの下に入っていくボールを磨くべきだし使う必要があると思う」 おそらく池田さんの見方が斎藤佑樹に突きつけられている現実なのだろう。 それでも栗山監督が、過剰なまでに斎藤佑樹をかばうのは、背番号を変えて背水のシーズンを迎えているファンとメディアが注目の投手のモチベーションをなんとか維持させてやりたいという指揮官の期待感であり親心なのか。それとも、大谷翔平にまだローテの一員としての計算が立たない状況において、一人でもローテ候補を底上げしておきたい、という切羽詰った状況での発言、行動なのか。 その本心のほどはわからないが、競争の原則をねじ曲げたときに、チームに不協和音は生まれる。開幕まで約1か月。まだ斎藤佑樹に本当の復活の兆しは見えてこない。