名古屋の小倉GM兼監督、電撃解任の裏事情。薄らいだ信頼とフロントの思惑
たとえば、湘南ベルマーレに苦杯をなめた5月29日の試合後には、相手DFにフリーの状態からミドルシュートを決められたシーンに対して、プレッシャーをかけにいかなかった選手へこう言及している。 「コミュニケーションの部分も含めて、そこをイチから教えていかないといけないとなると、(監督業は)なかなか骨のかかる仕事ですね」 目指すサッカーを何とかピッチ上で具現化したいと、選手たちが試行錯誤している中で結果が伴わない。そこへどこか突き放した印象もある指揮官の言葉がメディアを介して伝わってくれば、チーム内の信頼関係は希薄になっていかざるを得ない。 7月30日の横浜戦からは現実も理想もすべてかなぐり捨てる形で、5バックにしてまず失点を防ぐサッカーへ移行。横浜戦こそスコアレスドローでしのいだが、その後は3連敗。第2ステージの9試合で得点2に対して失点は17と、チームは崩壊状態に陥っていた。 横浜戦の翌日には、シーズン中では異例となるサポーターズミーティングが開催されている。小倉氏の更迭を求めるサポーターの声に対して、久米一正社長(61)は「何が起きても絶対に代えない」とする、それまでのスタンスをあらためて強調している。 小倉氏への全面サポート宣言からわずか3週間あまりでの方針転換となった背景と、今年6月に名古屋が筆頭株主であるトヨタ自動車の子会社となる手続きが完了したことは決して無関係ではないだろう。 久米社長は柏レイソル、清水エスパルスで強化の最高責任者を歴任。2008年には名古屋にGMとして迎えられ、ドラガン・ストイコビッチ監督とのコンビで2010年には悲願のJ1初優勝を達成した。昨年4月には、トヨタ自動車出身者以外では初めて株式会社名古屋グランパスエイトの代表取締役に就任した。 日本サッカー界におけるGMの草分け的存在としても知られる久米社長が、指導者としての経験をもたない小倉氏に監督とチーム編成を束ねるGMを兼任させる人事を推し進めるとは考えにくい。 何らかの「別の思惑」が働いたとすれば、子会社化に先駆けてトヨタ自動車から出向していた名古屋の幹部たちの存在となるだろうか。名古屋は今年を「改革元年」として位置づけている。その象徴として、出向してきた幹部たちの主導で白羽の矢を立てられたのが小倉氏だとすれば、不可解に映る兼任人事に至った経緯も納得できる。 小倉氏が早い段階から監督としての限界を露呈しても、退任させれば幹部たちの責任が問われる。久米社長も幹部イコール親会社の意向に従わざるを得ない状況となり、シーズン序盤に見せていた余裕を完全に失い、悲壮感すら漂わせていた小倉氏は自ら辞めることもできなくなった。 いわば保身を優先させる幹部たちの犠牲になっていた感もあるが、残り8試合でJ2への降格圏となる16位に低迷。15位のヴァンフォーレ甲府との勝ち点差が「7」と開いた状況となっては、強烈なカンフル剤を打たなければ取り返しのつかない事態を招くとの結論にようやく至ったのだろう。