手塚治虫に森高千里、「24時間テレビ」のシンボルマークまで…日本に「アニメーション」を定着させた「久里洋二さん」の偉業を担当編集者が追悼
森高千里の「ザ・ミーハー」も
『自伝』には載せきれない話も、ずいぶんうかがいました。 久里さんの仕事で、もっとも多くのひとに知られているのは、NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」のオープニング・アニメーションではないでしょうか。あの、タコが海中から出てくる映像です(ほかのヴァージョンもあり)。実は、このオープニング部分だけ、NHKに“著作権”が、ないのだそうです。 「なぜだか、珍しくNHKが登録を忘れてたんだね。だから、あの冒頭映像だけは、ボク個人に著作権があるんだよ。いまでも時々、NHKが思い出番組で流す際、ボクに電話してきて『使っていいですか』って聞いてくる。もちろんダメなんていわないし、おカネなんかもらわないよ。ジブリの『思ひ出ぽろぽろ』でも流れてたよね」 日本テレビの24時間TV「愛は地球を救う」のシンボルマークも、久里さんのデザインです。カラフルな地球の周りを、衛星(月? )が回っているイラストで、おそらく日本人で、見たことのないひとは、いないでしょう。1978年の番組開始以来、いまでも使用されている、長寿マークです。 「あれは地球じゃない。太陽なんだよ。太陽の周りを地球が回っているイラストなんだ。それより、あのデザイン料は、買い取りだったんだよ。だって、こんなにいつまでもやるなんて、誰も言ってくれないんだもの。てっきり、あの年だけの番組だと思って、買い取りにしちゃったんだ。ボクの著作物として登録しておけば、毎年、使用料が入ってきたんだけどなあ。でもあれはチャリティ番組だから、そういうわけにもいかなかったろうね」 NHKでは、「みんなのうた」の映像も、ものすごい数を制作されています。音楽よりも、久里さんのアニメーション映像で記憶されている年輩の方も多いのでは? 「いったい何本つくったか、もう記憶にない。ダーク・ダックスの《クラリネットこわしちゃった》はとても人気があって、カラーになってからつくり直したよ。ダークでは《森の熊さん》も、長く流れてたね。ペギー葉山の《赤鼻のトナカイ》、弘田三枝子の《怪獣がやってくる》、児童合唱団の《五匹のこぶたとチャールストン》なども大人気だった」 意外なところでは、森高千里の《ザ・ミーハー》(1988年)のミュージック・ビデオも、久里さんです。久里さん独特のおふざけや色っぽい味わいが盛り込まれた、痛快な映像です。 「あのビデオは、けっこうきわどい表現してるよね。いまはうるさいから、TVでは、もう流せないんじゃないの。でも当時は、よくあれを許してくれたと思うよ」 “きわどい”といえば、なんといっても、深夜番組「11PM」の、「久里洋二のミニミニ・アニメーション」でしょう。大橋巨泉が司会を担当する月曜日の回で、最後の1分間程度のコーナーでした。1966年から1982年までの17年間に、色っぽさや風刺、ブラック・ユーモアあふれる、700本近い作品が発表されました。 「あれはたいへんだった。毎週毎週、ボク1人でつくってたんだから。アニメーションは、音楽が重要。だからまず音楽を決める。使える音楽は、1回限りのテレビ放送用だから、ある程度自由だった。個人ではとても無理。その音楽に合わせて、絵を描くんだ。撮影も自分でやる。それを月曜日に東洋現像所に持って行って、夕方までにプリントに焼いてもらい、日本テレビに持って行く。放送時間は、23時50分ころ。1分以上の作品は、勝手に切られる。ボク自身も毎週スタジオ出演した。ナマ放送だから、夜中の仕事できつかった。ギャラも安かったし。でもとにかく、アート・アニメーションをやりたかったんだ」 実は、久里さんは、その大半のプリントを保管しており、個人的にDVD化していました。一度、新潮社が主催するカルチャー講座 で小規模な上映会を開催した際、音楽が使用されていない作品のみを数本、上映したことがあります。参加者はみなさん、「こんな強烈な映像が、地上波で流れていたんですか」と、びっくりしていました。しかし1回限りの放送なんて、もったいない! 「11PMのアニメーションは、大半は商品化は無理。音楽の著作権処理だけで、たいへんな手間と経費だから。それに、とにかく毎週毎週、大急ぎでつくってたから、けっこう荒っぽいものも多いんだよ」