「雌に選ばれるのは、つよい雄」説が、あながち間違いとも言えないワケ…生物の進化学から考える「この世界での生存条件」
グッピーの雌の選り好み
「河田先生はチェックが厳しい」 学生が恨めし気にぼやいている。河田先生とは、東北大学教授・河田雅圭(まさか ど)博士のことである。 確かに科学的な厳密さや論理性に対する河田博士のチェックはとても厳しい。だがその学生のぼやきは、研究指導についてのものではなかった。なぜなら学生が顔をしかめて手で押さえていたのは、頭ではなく、足だったからだ。 降りかかる大学改革・評価の膨大な事務作業、資金獲得、大学院生の経済的支援や、博士号取得者のキャリアパス開拓などの用務に奔走する傍ら、確保した貴重な時間で研究に没頭ーーそんな激務の日々のわずかな暇に河田博士は、金も余裕もない学生達のメンタル維持を図って、彼らをサッカーに誘ったのだった。 ところがそのゲーム中、つい本気になってプレス(チェック)をかけてその学生を跳ね飛ばした、ということらしい。それでも学生は、久々に本気でサッカーができたと満足していた。 さて河田博士がサッカーの次に古くから取り組んでいるのが、グッピーの性選択と種分化にまつわる研究だ。グッピーほどありふれた熱帯魚も少ない。だが、飼うのが容易で、色や形が多様なため、進化研究の材料には最適なのである。 グッピーは雄だけが体に派手な色の模様をもつ。色と模様のパターンは個体ごとに様々である。一方、雌は個体によって色の見え方(色覚)が違う。そしてオレンジ色や青色など、特定の体色のパターンをもつ雄を好む。 餌の藻類を効率よく見つける雄は、オレンジ色の基になるカロチンを多く摂取できるため、体にオレンジ色の部分が増える。だからオレンジ色は、餌を見つけるのが上手い雄、つまり生存力の高い雄の印だ。オレンジ色に強く反応し、オレンジ色の部分が多い雄を好む雌は、生存力の高い雄を配偶者に選ぶことになる。 するとその子は父親の性質を受け継いで生存力が高く、息子ならオレンジ色になり、娘なら母親の性質を受け継いでオレンジ色の雄を好む。この性選択が何世代も続くと、集団はオレンジ色の雄と、オレンジ色の雄を好む雌で占められる。 一方、捕食者がいる環境では、逆にオレンジ色の雄は目立って敵に狙われやすく、不利になる。だからこの場合、集団は地味な雄と、地味な雄を好む雌で占められる。雄の体色も、雌が選ぶ雄の体色も異なるこれら二つの集団の間では、他に要因がなければ交配が起こらない。つまり生殖的隔離が生じ、種分化が起きることになる。 ではどんな仕組みがグッピーの雌の色覚や、体色に対する好みの違いを決めているの だろう。 河田博士らは、それがオプシン(眼の網膜にある視細胞に蓄えられている視物質の成分で、光に反応するタンパク質)遺伝子の発現量の違いであることを突き止めた。また、複数あるオプシン遺伝子の発現量は、別の遺伝子によって制御されていた。さらに河田博士らは、生まれつきの遺伝的な違いに加えて、育った環境の違いも、後天的にオプシン遺伝子の発現量に影響することを見出した。 雌の好みには、複数の遺伝子の相互作用に加え、育った環境で決まる後天的な仕組みも関わっていたのだ。