「無知のまま生きることの危うさ」俳優・小松みゆきが親になった今だからこそ伝えたい「芸能界での苦い経験」
小学生の頃から芸能界に憧れていた小松みゆきさんは、大学時代に親に相談せずに芸能事務所と契約を結んだそうです。「無知のままで、新しい世界に飛び込んだことがその後の失敗に繋がった」と話す小松さん。過去の苦い体験談の中には、母親になった今こそ伝えたい、若い世代へのメッセージが込められていました。 【画像】「35年来の悲願も叶った」同じ高校を卒業した秋吉久美子さんとの共演写真など貴重な芸能生活の写真を公開(全11枚)
■親に内緒でオーディションに応募していた中学時代 ── 芸能界に憧れるようになったきっかけを教えてください。 小松さん:芸能界への憧れを持ったのは、10歳の時です。大ファンだった近藤真彦さんが主演の映画『ハイティーン・ブギ』を観て、「こういうお仕事があるんだな」と、「芝居の世界」に興味を持ちました。
中学生の頃、親に内緒でオーディションの審査に応募したところ、書類選考に合格して、「二次選考」のお知らせが自宅に届いたことも。その封筒を親が開けてしまって、「なんだこれは!」と驚かれたことを今でも覚えています。二次選考に挑戦してみたい気持ちはありましたが、親から交通費を出してもらえず、諦めざるを得ませんでした。それでも、「いつか東京で生活をして、お芝居の仕事がしたい」と夢見ていたんです。 ── 大学進学と同時に、憧れの東京生活が始まります。スカウトされたのはいつ頃でしたか?
小松さん:大学1年生の5月頃です。高校までは地元の福島県の高校に通いましたが、大学進学時に上京し、4月から東京生活が始まりました。9歳からバレエを習っていたこともあり、「ディズニーのダンサーか劇団四季のオーディションを受けてみたいな」と考えていた時に、原宿で芸能事務所にスカウトされたんです。 ── 上京早々にスカウトされて、驚きましたか? 小松さん:実は中学生の頃から、何度かスカウトは受けていたので、「もしかしたら、またスカウトされるかも?」とは考えていました。私の両親がボウリング場を営んでいたため、夏休みなどの繁忙期には東京の親戚宅に預けられることが多く、その時に遊びに行った原宿や渋谷で声をかけていただいていたんです。