2つの戦争の時代の世界 ―ウクライナ戦争とイスラエル・ガザ戦争
2つの戦争の交錯
現実をより複雑にしているのは、欧米諸国がロシアによるウクライナ侵攻による人道的被害を厳しく批判しながらも、イスラエル軍によるガザのパレスチナ人への軍事攻撃による人道的被害について同様の批判を展開してないというダブルスタンダードである。それぞれの紛争の性質が異なるとはいえ、欧州諸国でも米国内でも、この2つの戦争に対する基本的な立場は多元的であり、それらの多様な立場は相互に摩擦を起こしている。 その間ロシアや中国は、ガザ危機における「パレスチナ支援」の「正義」を語ることによって、グローバルサウスと呼ばれる諸国を中心とした国際社会に対して、自らの道義性を演出している。ロシアのプーチン大統領は昨年10月10日、イスラエルが報復的な攻勢を始める段階で、「これは米国の中東政策の失敗の生々しい実例であることに多くの人が同意すると思う」と述べて、自らが「正義」の側に立つことで、イスラエルを擁護する米政府の立場と対比させて、米国の権威を失墜させようと試みた。世界の注目が中東の紛争に集まることとともに、国際社会のウクライナへの支援についても後退しつつある。そのことが、戦場におけるウクライナ軍の戦いをより困難なものにしている。 戦争の行方は、見通しが立たない。中ロ両国がよりいっそう結束を深めていることや、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる諸国の多くが欧米のウクライナ支援とは一線を画していること、そして欧米諸国の一部に「支援疲れ」が見え始めていることなどから、ウクライナでの戦争では次第にロシアが攻勢を強めつつある。また、イスラエル軍のパレスチナへの攻撃によって、イスラエル、そしてそれを擁護する米国がよりいっそう国際社会で孤立しつつある。2つの戦争が、次第に交錯するようになり、国際情勢の動向はよりいっそう複雑性を増している。 日本政府はその間、「法の支配に基づく国際秩序」や、「人間の尊厳」を擁護する必要性を説くことによって、国際社会における共通基盤や共通認識を生み出すことに努めている。しかしながら、世界の分断の深刻化は、そのような日本外交の努力をよりいっそう難しいものとしている。最大の懸念は、「2つの戦争」が、台湾有事と結びつくことでで、「3つの戦争」へと拡大することである。現在のところは、そのような可能性は低いというべきであろう。国際情勢の不透明性が高まる中で、より一層われわれは、巨視的な視座から世界全体を見渡すと同時に、歴史的な視座からその構造的な変化を俯瞰することが重要となっている。
【Profile】
細谷 雄一 nippon.com編集企画委員。慶應義塾大学法学部教授。アジア・パシフィック・イニシアティブ研究主幹。1971年千葉県生まれ。立教大学法学部卒業。2000年慶大大学院政治学専攻博士課程修了。北海道大学法学部、慶大法学部などの専任講師を経て2006年慶大法学部助教授。2011年から現職。著書に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成、1945-51年』(創文社/2001年/サントリー学芸賞受賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房/2005年)、『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会/2009年/読売・吉野作造賞受賞)など。