サッカー元代表・大津祐樹が海外で株式投資を始めた契機
アスリートでありながら、投資家としての意識を持つ「アスリート投資家」たちに、自らの資産管理や投資経験を語ってもらう連載「 アスリート投資家の流儀 」。柏レイソルを皮切りに、ボルシア・メンヘングラードバッハ(MG)、VVVフェンロ、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田の合計5クラブでプレー。2023年限りで現役を引退し、現在は酒井宏樹選手(オークランドFC)とともに2019年に起業したASSISTの代表取締役社長(CEO)として奔走する大津祐樹さんにご登場いただきました。 「自分のコンディションを見ながら判断して、シーズン終盤の頃に(引退を)クラブに伝えました。僕もジュビロの中では給料が低くはないので、僕に使うよりも若い選手に使ってほしい、チームのために使ってほしいとクラブに言いました」 2023年12月25日。元日本代表FW大津祐樹さんは引退会見で興味深いコメントを残しました。2008年に東京・成立学園高校から柏入りし、プロサッカー選手のキャリアをスタートしてから16年。当時33歳とまだまだプレーできる年齢ではありましたが、相次ぐケガで自分が考える100%のパフォーマンスを出せないこと、支えてくれる人々に対してリスペクトを欠いてしまうこと、そしてクラブの保有する選手の人件費を若い世代に投じてほしいという願い・・・・・・その3つを主に考え、キャリアに区切りをつけることにしたといいます。 普通の選手がクラブの人件費に思いを馳せることは滅多にないはず。大津選手はすでに会社経営を手掛けており、クラブの置かれた立場や現状をよく理解していたからこそ、そういった発言ができたのでしょう。 本田圭佑さんなど現役時代から起業するサッカー選手は確実に増えていますが、大津さんはいつからマネーやビジネスに対して真摯に向き合うようになったのでしょうか。まずはそのあたりから伺いました。 ■アスリートになりやすい教育環境 ――大津さんは茨城県水戸市出身で、鹿島アントラーズの下部組織で中学時代を過ごし、成立学園高校へ進んでからプロ入りされました。子ども時代からお金に対してはしっかりとした教育を受けていたのでしょうか? 大津:いや、そうでもないですね。僕の両親は自分が何かできたらほしいものを買ってくれるという感じでした。「ゲームがほしい」とねだると、「勉強で学年何番になったら買ってあげる」「持久走で上から何位以内に入ったら考える」という答えが返ってくる。僕はそのミッションをクリアするために努力するのがつねでした。 ――子どものやる気を引き出す親御さんですね。 大津:そうですね。子ども時代はそれでいいと思うんです。男の子だったら「女子にモテたいから頑張る」「みんなからカッコいいと思われたいから目標を達成する」というので十分。サッカーが好きならそれを必死にやればいいし、お小遣いをもらうためにテスト勉強を精一杯やるのでもいい。そうやってモチベーションを上げるのは大事なことですね。 もう1つ、両親から言われたのは「人を大切にしなさい」ということ。2人ともアスリートだったので、サポートしてくれる人に助けられて来たんだろうし、その経験から僕にも伝えてくれたんだと思います。自分はアスリートになりやすい環境にいたんだなと今になると感じます。 ■選択肢をより多く増やしたい ――2008年に柏入りした頃はマネーとどう向き合っていましたか? 大津:最初はホームスタジアムの日立台(三協フロンテア柏スタジアム)の敷地内にある寮に住んでいて、お金を使う必要がほとんどなかったので、普通預金とかで貯めるだけでした。ありがたいことに新人時代から結構試合に出してもらったので、年俸は年々上がっていきましたね。 そこで、自分が考えたのは「選択肢をより多く増やしたい」ということ。いろんな人と出会って、話して、勉強していくことが選択肢を増やすことにつながると思ったんです。 それからはサッカー関係者に限らず、多様な方々と話す機会を意識的に多くしました。お金に関しては、一発で成功した人、投資運用を地道にしている人など、いろんな人がいることが分かった。「自分も経済を把握したり、情報を収集したりして、知識を得ていかないとダメなんだな」と強く感じましたね。 ――大津さんは2012年ロンドン五輪の日本代表の中心選手でしたが、その前年の2011年夏にはドイツ・ブンデスリーガ1部の名門・ボルシアMGへ赴くチャンスをつかみました。 大津:そうですね。自分がドイツに行ったのは東日本大震災の3~4カ月後。急激に円高が進んでいて、1ユーロが100円前後でした。1ユーロが160円前後になっている今ではちょっと考えられないですけど、「何をするにもメチャメチャ安いな」という感覚でしたね(笑)。 ドイツに渡ったことで、初めて為替レートにフォーカスするようになりました。それまでは1ドルがいくらかを考える機会はほぼなかったので。「同じ物が日本とドイツで売られていたとしたら、どっちで買う方が得か」というのも、よくチェックするようになりました。 ――それが大津さんの投資への第一段階だったんですね。 大津:はい。次に目を向けたのが株ですね。きっかけは海外でトイレに行ったとき、「なぜこんなに作りが簡素なのか」と疑問を抱いたこと。日本だと扉を開けたら便座が自動的に開いたり、ウォシュレットがついていたりしますよね。洗面台も自動水栓があったり、ジェットタオルが置かれたりしている。そういう細やかな気配りは欧州のトイレにはないですし、アジア予選で行った中東やアジアにもありませんでした。 僕は「これは日本に勝ち目があるな」と直感的に悟りました。ちょうどこの頃、2020年の五輪の日本開催が有力になってきた時期でもあったので、「海外の人が日本に来てトイレに入ったらビックリするだろうな」とも思い、TOTO(5332)の株を買おうと心に決めました。 ■株価の答え合わせは10、20年後 ――初めて株を買い付けるに当たって、どんなアプローチをしたんですか? 大津:野村証券で口座を開設したのが最初です。当時もネット証券はありましたけど、今ほど一般的ではなかったと記憶しています。それまでの資産運用は外貨建て保険とか普通預金だけだったので、「預金の分を株に変えてみよう」と思って、数百万円規模のまとまった金額を投じました。 ――データを紐解くと、2011年のTOTOの株価は1100~1200円。そこから右肩上がりで上昇していますから、大津さんの見立ては正しかったということになります。 大津:僕自身は「株価が安いか高いか」という命題の答え合わせは10年後、20年後の話だと思っていて、買った株が上がるか下がるかは考えていませんでした。TOTOに関しては「価値が右肩上がりになる」という確信のようなものがあったので、思い切って資金を投じることができたんでしょう。仮にマイナスになったとしても、自分の目が悪かったと納得できますしね。 結局、TOTOの株は倍以上になりましたね。運用は4年ほど行って売却しましたけど、その成功体験が自分にとってすごく大きかった。株投資を本格的に始めるきっかけになりました。 サッカー選手は海外遠征の機会が多く、日本との違いに直面する機会が少なくありません。しかしながら、大津さんのようにその経験を株投資に生かすという例は稀有だと言っていいでしょう。ストライカーが独特のゴール前の嗅覚を持ち合わせているように、大津さんには天性の投資家の感性があったのかもしれません。 最初の株投資で利益を上げた大津さんが、そこからどのようなチャレンジに打って出たのか・・・・・・。そのあたりを次回は深掘りしていきます。 元川 悦子(もとかわ・えつこ)/サッカージャーナリスト。1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。 ※当記事は、証券投資一般に関する情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。
元川 悦子