実は福澤諭吉も言っていた!「東大の学費を値上げすべき」と慶應義塾長が提言した背景にある“伝統”とは(レビュー)
■「国立大学の学費値上げ」は慶應義塾の悲願?
河野:大学改革と言えば、最近、中央教育審議会の特別部会で、慶應義塾長の伊藤公平さんが、「国立大学の学費を100万円値上げすべき」と提言して物議を醸しました。「教育費を値上げしろなんて、とんでもない」と思った人も多いかもしれません。 しかし興味深いことに、『反・東大』の第1章には、すでに同じようなことを福澤諭吉が1887(明治20)年の時点で主張していたことが書かれています。「官学が政府の力をバックに不当な安値でよい品物を叩き売るダンピング行為をするから、私学の発達が阻害される」というのが、その理由です。そのような経緯を知ると、なるほど慶應義塾長がそのような提言をするのには歴史的必然性があるんだな、と思いました。 森本:伊藤塾長は以前から国立大の授業料の値上げについて提言されていたのですが、じつは私もそれには大賛成なんです。もちろん、奨学金の拡充とセットであることが前提ですし、また地方の国立大学まで一律に値上げする必要はないと思います。 しかし、現実問題として教育にはお金がかかりますから、それを誰がどのように負担するかです。とりわけ東大は、統計的に裕福な家庭の子女が進学しているというデータが出ているわけですから、裕福ではない学生向けの奨学金をしっかり手当てした上で、一般学生の授業料を値上げするというのは理に適った話です。日本の大学の学費は安すぎて、一方でアメリカの大学の学費は高すぎて、どちらも問題だと思います。
■なぜ東大に税金を使うのか?
河野:なぜ莫大な国費を投入してまで東大の学費を安く抑える必要があるのかと言えば、それは東大が「国家枢要の人材」を養成しているからである――明言するかどうかはともかく、こういうロジックが少なくともある時期までは広く社会に共有されていたように思います。 森本:つまり社会全体の利益になる人材を育てるためだから、税金を使うのも正当性があるという考え方ですね。実は大学教育の総コストを見ると、公金と家計の負担割合は日本もアメリカもそんなに変わらないのです。違うのは学生数の割合で、私立大学に通うのはアメリカでは3割弱なのに、日本は8割です。バランスから言えば、今の東大への国費投入はさすがに大きすぎるのではないかと思います。 河野:戦後の一時期までは、たとえば法学部であれば相当数の東大卒業生が役所に就職して、決して高いとはいえない給料で、お国のために頑張って働いてくれているというのは実感できるストーリーだっただろうと思います。したがって、彼らの学費を税金で賄うというのも分かりやすい話でした。 しかし近年は、役所に就職する東大卒業生が減る一方で、かわりに外資系の金融機関やコンサルティング会社に就職してバリバリ高給を稼ぐタイプが目立ってくる。あるいは、「東大王」などのテレビ番組やYouTubeなどで人気者になるタイプも出てきました。 もちろん、職業選択は完全に自由なのですからそのこと自体は決して非難されるいわれはありません。ただ、やっぱり納税者のロジックからすると、なんで彼ら彼女らのためにそこまで税金を使わないといけないんだという疑問が出てくるのは避けられない。その意味で、昨今の東大ブームにおける「ユニークな東大出身者」の取り上げ方は、何かをきっかけに世間の空気を一気に「反・東大」に反転させかねない、やや危ういものを感じますね。 森本:そんな空気を察したのか、東大も学費を10万円ぐらい値上げすることにしたみたいですね。私学の立場からすれば、もう少し値上げしても良いんじゃないかと思いますが、しかし世間の批判が高まると、それをすぐさま取り入れて自己変革を遂げていくというのは、まさに『反・東大』に描かれた東大の〈生き残り戦略〉でもありますね。