【バレー】荒木田裕子さんを偲んで
訃報を聞く前にパリから帰国して「パリ五輪のお土産を買ってきました。お目にかかってお渡ししたいですが、まだまだ残暑も厳しいので外出はむずかしいでしょうか。郵送させていただこうと思いますが、住所をお知らせ頂けますか?」とメールしたが、返信はないままだった。 私はパリ滞在中にいただいた仕事に追われていて特に気にしないでいたため、訃報に愕然となった。 なぜ折々にお電話をいただいたのだろう…と考えていたのだが、私の著書にも書いたし、SNSでも時々書いていた、バレーボールの仕事の中でいろいろなダメージを受けて鬱病になり、日々の生活すらままならなくなったときに、松平康隆さんがお電話をくださり、「どうしたの? 最近会場で見かけないけど元気かい? なに、病気になった? 早く治してまた会場に取材にいらっしゃい」と励ましてくださったことが回復のきっかけになったということを覚えていてくださったのではないかと思い至った。それが訃報を聞くほんの数日前のことだった。あれが虫の知らせというものだったのかもしれない。 私自身がそうであるように、100%の善良な人間などどこにもいない。松平さんもそうであったように、光が強いところには濃い影も生じる。ネゴシエーションに強いということは、善良で純粋なだけでは務まらない。しかし、荒木田さんも常に日本バレーボール界の発展のために心を砕いてきたことは変わらない事実であり、功績である。 比較的近年の荒木田さんの言動でバレーボールファンに有名なのは、日本バレー史上初の全日本外国人監督であるゲーリー・サトウ氏が全日本男子チームから契約期間の途中でその任を解かれたときに、理由として公表されたものだろう。いわく「一番の失望は、初めて世界選手権の出場を逃したこと」「ゲーリーサトウさんが長い間携わってきたアメリカのバレーは、選手個々の心身共にトップアスリートがやっているバレーだった。そこまで日本の選手はいっていない。いろんなところで自立していない。まだまだアスリートとしてそこまでいっていない。日本人とアメリカ人、体の面でも劣っている。アメリカの最高の指導をそのまま持ってきてもだめなのではと」。このときは私も会見でこの言葉を聞いてなかなか衝撃を受けた。しかし、当時から私は「外国人監督でありさえすればいいというものではない」ということと「初めて世界選手権出場を逃し、ワールドリーグで最下位となり、グランドチャンピオンシップでも全敗となった。つまり監督としての業績はかなり低いと言わざるを得ない」ということは認識していたため、荒木田さんの挙げた理由は、ゲーリー氏への優しさだったのだろうと思う。よく誤解されているのがゲーリー氏が就任が遅れたために全日本男子のメンバーを自分で選考できなかったといわれていることだが、実際は少し違って、大体の候補を協会が選考し、その中からゲーリー氏が更に選んだのである。だからゲーリー氏に選択権や指揮権がまったくなかったわけではない。 解任するゲーリー氏に「うちの子たちがまだまだ至らないためで、あなたのせいではないのですよ」という事が言いたかったのだろうなと。ただ、「うちの子たち」についてももう少し配慮した言い方があったかもしれないし、2024年現在ではまた違った状況となっただろう。 私の受けた大きなダメージのために最終的に荒木田さんが動いてくださったのは、私やスタッフTが日本女子バレー史上で初めて五輪出場権を逃したシドニー大会のときも、常にバレーボールの情報を発信し続けたことを申し上げてからだった。首都圏で行われたワールドグランプリ(ネーションズリーグの前身となる大会)で、観客は動員された学生たち300人程度。選手や私達メディアの人間でポールを立て、ネットを張り、片付けた。記者会見には私とスタッフTと朝日新聞のバレー担当の3人だけが毎日出席した。今の管轄団体の窓口が「機関誌であり特別な存在なので」と謳うもう一つの専門誌は誰も姿を表さなかった。それでもバレーボールの情報発信を途絶えさせてはならないと歯を食いしばって続けてきた。女子が人気のときも男子の情報を、男子が人気のときも女子の情報も、発信してきたしこれからもしていくだろう。荒木田さんにいただいたご恩を返していきながら。バレーボールは続く。 *こちらの記事に「荒木田さんのためにもお名前を名乗って書かれたら良いと思います」といった趣旨のコメントをいただいた。ヤフーニュースの著者名は記事の終わりから少し離れて、若干小さい文字で掲載される仕様のため、お気づきにならなかったかもしれないので本文中にも記すこととする。 文責:中西美雁
中西美雁