なぜ賛否が分かれている? 映画『ジョーカー2』の果敢な挑戦を考察。ミュージカルシーンの是非は?
「ジョーカーとは何者なのか?」というテーマへの挑戦
本作は前作の約2年後からスタートする。精神病院である「アーカムアサイラム」に収容されたジョーカー=アーサーの裁判が始まろうとしていた。 理不尽な世の中に対するカウンター。その教祖に祀り上げられたジョーカー。彼がいかに裁かれるか、世間の注目は高まっていく。皮肉なことに、本来はジョーカーの罪を裁くための機会である裁判は、テレビ中継されることで、世に蔓延る不平分子たちの耳目に触れ、結果、ジョーカーの支持者を増やすことになる。 そんな中、レディー・ガガ扮する謎多き女性・リーがジョーカーの前に現れる。リーはジョーカーに対して狂信的な愛情を示すようになる。重要なポイントは、リーが愛を向けるのはアーサー(素顔)ではなく、あくまでジョーカー(偶像)に対してである、ということだ。 映画は、裁判の経過を丹念に描写すると同時に、リーという女性を通して、アーサー自身が“ジョーカーとはなんなのか?”という問いに正面から向き合う姿を描く。 これはそのまま『ジョーカー』の続編として『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』がどうあるべきかという問いかけに重なるようになっている。前作で世界的な熱狂を生んだ『ジョーカー』という映画とはいった何だったのか? トッド・フィリップス監督なりの回答が本作で示されていると言っていいだろう。 しかし、監督個人の回答は前作のファンが求める回答と必ずしも一致しないだろう。そのため作品に対して賛否が分かれるのも致し方ないのかもしれない。それに関連して『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を特異な作品にしている点として重要なのがミュージカル演出だ。 前作でも音楽が効果的に使われており、アカデミー賞では作曲賞を受賞しているが、本作では特に、ジョーカーとリーが愛情を伝え合う場面における歌唱シーンが印象的である。新旧様々な歌曲が使用されており、トッド・フィリップス監督による過去のミュージカル映画への愛が迸ってはいるものの、それをどう受け止めるかにおいて、作品への評価は大きく分かれるだろう。 観客全員の支持を取り付けること。それは大衆芸術である映画というメディアが抱く1つの理想である。しかしそんな理想は、果たして『ジョーカー』の続編である本作の成功を計る物差しになるだろうか? そうではないだろう。その点本作は、『ジョーカー』の続編という義務を十分に果たした作品になっていると言えるだろう。
村松健太郎