日本の心胸に、異国代表で臨むパリ…指導者でもメダル・兄の思いも背負う女子選手
[Paris2024 世界から]<番外編>
フランス・パリで7~9月、五輪・パラリンピックが開かれる。ジェンダーの壁を乗り越える選手もいれば、長きにわたる紛争のはざまで葛藤を抱える選手もいる。晴れ舞台に臨む人びとが何を目指すのかを報告する。
「日本柔道のすばらしさ伝える」
エジプトの首都カイロの複合スポーツ施設にある柔道場。青い柔道着に身を包んだ一人の日本人が、エジプト代表選手らの乱取りを鋭い目つきで見つめていた。
「ビソラ、ビソラ(素早く、素早く)」。動きの鈍い選手に向かって大声で指示を出す。身ぶり手ぶりを交え、時には選手と直接、組んで手本を示す。
2004年アテネ五輪男子90キロ級銀メダリストの泉浩さん(41)。パリ五輪の出場が決まった男子選手2人とともに、今度は柔道エジプト代表の監督として、再び五輪の舞台に立つ。
2度の五輪を経て現役引退し、実業団や各地の柔道教室などで指導していた。柔道の強化を図るエジプトから代表監督の打診があったのは昨年10月。海外での生活経験はなく、言葉も分からない。子供は1歳と5歳でまだ小さい。治安の不安もあった。それでも、またとないチャンスと思った。
エジプトは05年の世界選手権で金メダルを得た場所だ。「これも何かの縁か」。最後は「やりたいことをやったらいい」という妻の一言で決断した。家族を日本に残し、1月からカイロのホテルで暮らし始めた。
最初は戸惑いばかりだった。きちんと礼もしない選手たち。「そこから教えなければならなかった」。言い訳も多い。「まず、しっかりやるべきことをやろう」と根気よく説き続けた。
少しずつだが変化は見える。掃除をしたこともなかった選手たちが、柔道場を掃除するようになった。礼儀も身についてきた。五輪に出場する60キロ級のユスリ・サミ選手(21)と81キロ級のアブデルラフマン・アブデルガニ選手(25)は「練習はとても厳しい。でも、自分が強くなっていると感じる」と歯を食いしばる。
1984年のロス五輪無差別で銀メダルを獲得したエジプト柔道界の英雄ムハンマド・ラシュワンさん(68)は「経験豊かな監督の下で、選手がどんどん変わっている」と期待する。