夫の母から「息子が心配」と言われたことも…47歳で12歳の「年の差婚」をした宇津木妙子監督の家族の形
■「親子で姉妹」ソフトボールが繋いだ宇津木麗華さんとの出会い ── 元中国代表選手として活躍し、32歳で中国から日本に帰化した宇津木麗華さんの存在も、宇津木さんの人生に大きく影響しているように思います。「宇津木」の姓に改名し、監督と選手という立場でともにオリンピックを戦った麗華さんとの出会いについて教えてください。 宇津木さん:麗華が15歳のとき、日本代表として中国の交流試合に出ていた私のプレーを見て「小柄なのに、あんなに打てるなんてすごい」と、名前を覚えてくれたそうです。私がジュニア世界選手権のコーチになったころ、麗華は18歳で中国代表のキャプテン。麗華のチームの先輩が私の友人だったので、麗華たちが遠征で日本に来たときに、先輩から預かったお土産を渡しに来てくれたこともありました。
ほかにも、「バッティングを教えてほしい」と遠征先の私の部屋に訪れたり、個人賞を獲得したときのトロフィーを見せに来てくれたことも。当時、麗華は日本語ができなかったため、紙に書いてコミュニケーションを取っていましたが、あのころの真剣さは今でも記憶に残っています。 ── 日本でプレーすることを憧れていた麗華さんが、日本への帰化を決断したとき、宇津木さんはどのように対応したのでしょうか。 宇津木さん:「日本に帰化してプレーしたい」という麗華を応援し、麗華の父親を説得するために北京におもむきました。「私が彼女の人生の責任を持つ。生活もソフトボールもすべて任せてほしい」と覚悟を伝え、承認を得ることに成功。
帰化後は「宇津木麗華」の名前に改めて、私の家で共同生活が始まりました。当時は、私の母が健在だったので、生活面ですごくよくめんどうを見てくれていました。次第に母と麗華の絆は強くなり、母が亡くなる前に遺言を託したのは、私ではなく麗華だったほど。母にとっても、麗華は特別な存在になっていたんだと思います。 ── 麗華さんも現役引退後、日本代表監督に就きました。指導内容について、麗華さんにアドバイスされることもありましたか?