8歳でアルコールを覚え、12歳でコカイン中毒… 壮絶な人生を送るドリュー・バリモアがいま評価される理由
生活とキャリアを立て直すために
親から家事を習わなかったドリューは、洗濯の仕方も掃除の仕方も知らなかった。家は瞬く間に汚くなり、カビが生え始めた。そんな中でも必死に生きようと、コインランドリーに行き、食材の買い出しを覚えた。 その頃の彼女は私生活の乱れも影響して仕事は低迷。『ボディヒート』(1992年)でカムバックを果たすものの、与えられる仕事は、未成年にもかかわらず悪女や性的な役柄ばかりだった。転機となったのは、ウェス・クレイヴンの『スクリーム』(96年)だろう。主役ではないものの、冒頭で惨殺されるキャッチーな役は主役の次に注目されたと言っても過言ではない。 それ以降は、『ウェディング・シンガー』(98年)や『25年目のキス』(99年)などのラブコメディ、『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)といったアクションなどに出演。自分で作品を選択できるようになり、キャリアを立て直すことに成功した。 20代から30代にかけて、女優業だけでなくプロデューサーや監督業にも挑戦。さらに製作会社を設立。自叙伝は大ヒットし、ワインメーカーや化粧品ブランドを展開するビジネスパーソンとしても成功している。
過去を受け入れたドリューのトーク
そんなドリューがいま最も高く評価されているのが、自身の名前がタイトルについたトークショー『The Drew Barrymore Show』でのトーク力だ。ホストとして持ち前のユーモアで話を盛り上げつつも、ゲストに強く共感し、自分の人生とも照らし合わせて展開するスタイルは、ときに見るものの古傷をえぐり、心に訴えかける。 ハリウッドには、ドリューのように波瀾万丈な人生を送ってきた元子役が少なくない。90年代から2000年代初頭にかけては、そういった元子役の苦しみに起因した行動を「お騒がせセレブ」といった軽薄なレッテルとともに面白おかしく消費されていった。ドリューはそんな人たちを番組に呼んで当時を語らせ、一個人としての魅力を世の中に広めている。 ドリューは自分の過去を隠していない。実際、彼女が過ごしたLAの思い出の場所を巡る特集では、リハビリセンターや14歳で一人暮らしを始めたアパートなどを紹介。18カ月間過ごしたリハビリセンターの前では、心の痛みを誤魔化すためにアルコールやドラッグに手を出し、自暴自棄になっていた当時の暮らしを回想し「今のような暮らしができるなんて想像すらできなかった」と涙した。そして、『The Drew Barrymore Show』は、そんな痛みを抱えた自分が率いる番組なのだ、と語っている。
小さなアパートに住むのは、家族と過ごすため
冒頭で紹介したドリューのニューヨークのアパートは、元夫ウィル・コペルマンと、ふたりの娘のそばにいるためのものだ。リビングには小さなテレビ、バスルームにはカーテン、キッチンは小型のガスクッカーが置かれている。 かつて住んでいたLAの家は豪華なものだったが、ドリューはいまの生活を気に入っているらしく、「家から出たくないほど気に入っている」と話している。 家や学校に居場所がなく、アルコールに逃げざるを得なかった幼少期や、3度の離婚で再びアルコールに溺れながらも、依存から立ち直ろうと戦ったドリューの姿を見ていると、幸せそうな日常の投稿がたまらなく愛おしくなるのだ。
文:中川真知子