【齊藤工&竹林亮】「見て見ぬふりをしていた」児童養護施設の日常が教えてくれたこと
施設の子どもたちの声に耳を傾けようとしてこなかった
―― 『大きな家』を観て、子どもを取り巻くさまざまな社会問題に想いを馳せました。自分が招いたわけではない、本人たちにとっては、ある意味理不尽な理由から施設で暮らす子どもたちに対して、我々大人は何ができるでしょうか? 齊藤 一撃で解決できるような社会問題はないと思いますが、その問題に興味を持つ、意識する、愛情をもって心を傾けるのが、第一歩ではないでしょうか。関わり方は人それぞれですが、多くの人たちが、この問題に気づくきっかけに、この映画がなったらいいなと思っています。 そもそも僕がこの作品を企画したのは、これまで自分が見て見ぬふりをしていた世界と、向き合うためでした。この作品を観た施設の職員さんが、「児童養護施設に入所している子どもたちの声が社会に直接届く機会はあまりない」とおっしゃっていた通り、僕も、その声に耳を傾けようとしてこなかった大人のひとりなんです。 4年前、あるイベントのボランティアとしてこの施設を訪れました。その時、ひとりの子が、「あなたも、またもう二度と来ない大人なんだね」という目をしていたのが忘れられず、その後何度か、施設を訪れるようになりました。そうする中で感じたのは、“質より量”というか、会う回数がモノを言うのだということ。 撮影が終わった後も、竹林さんやプロデューサーの福田文香さんたちは、子どもたちとごはんを食べに行ったり、遊びに出かけたりしているんですよ。俳優志望の子が、僕のドラマの撮影現場に来たこともあります。そんなふうに、“続編”がずっと続いていますし、頻度は変わったとしても、この先もずっと、この関わりは続くだろうと思っています。 竹林 この作品に関わる前は、児童養護施設がどういう所なのか、まったく知りませんでした。初めて施設を訪問してから2年半、子どもたちにとって、親や周りの大人がどんな役割を果たすべきかというヒントを、本質的な部分で感じられた気がします。 齊藤さんが言う通り、子どもたちにとって、継続的な眼差しを自分に向け続けてくれる相手は必要だし、それがあるだけで、子どもの中に大きな変化があるのではないかと思います。そして、その大人とは、肉親に限った話ではない。日常的にカメラという眼差しを向けられることでの子どもたちの反応を見ていた時に、そんなことを、ふと感じました。