平成ノブシコブシ・吉村崇、水だけで過ごした下積み時代「29歳のときに“芸人を辞めて北海道に帰ろうかな”と思っていました
テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」のレギュラーコメンテーター 玉川徹とフリーアナウンサーの原千晶がパーソナリティを務めるTOKYO FMのラジオ番組「ラジオのタマカワ」。「テレビではまだ出せていない玉川徹の新たな一面を発信!!」をコンセプトに、ビジネス、キャリア、マネー、カルチャー、エンタメ、音楽など、さまざまなジャンルをテレビとは違った角度から玉川が深掘りします。 今回の放送では、お笑いコンビ・平成ノブシコブシの吉村崇さんがゲストに登場。貧乏だった下積み時代のエピソードや、リスナーから寄せられた恋愛相談に回答しました。
◆水だけで過ごした下積み時代
原:リスナーのみなさんからメッセージが届いております。今日のテーマは「北海道について語ろう」です。 <リスナーからのメッセージ> 学生時代から社会人にかけて6年間北海道で過ごしました。魅力的だったのは、冬の晴れた日に見た星空です。 それは友人たちと真夜中のドライブをしていたとき。疲れたので路肩で休憩をとったときにふと見上げた空の綺麗さと言ったら。こぼれ落ちてきそうな星々の輝きを見ていたら、地球も俺も広い宇宙のなかに存在しているんだなと実感させられました。 マイナス20度を超える寒さだったので車の外で空を見たのは数分だけだったと思いますが、鮮烈な記憶が今でも焼き付いています。 玉川:わかります。僕は30歳になる誕生日に稚内にいました。稚内の小さな旅館みたいなところで、ちょうど僕が30歳になる瞬間に屋上にいたんですよ。そのときの空が、いまにも降ってくるような星空でした。今でも覚えています。 吉村:カッコいいなあ! やっぱ俺の推しだよ(笑)。 玉川:(笑)。吉村さんは30歳のときは何を考えていましたか? 吉村:僕は30歳になってテレビに出れるようになったんですよ。コント番組が始まったのが30歳で、それが(売れるようになった)きっかけなんですよね。人生がガラッと変わったタイミングですけど、本当にもう芸人を辞めようと思っていたんですよ。 玉川:時期的には30歳になる前にブレイクしたんですか? 吉村:ほぼ誕生日と同時期ぐらいです。29歳のときに「芸人を辞めて北海道に帰ろうかな」と思っていました。空なんか見上げる余裕はなかったですね。 玉川:地面だけを見て生きてきたと。 吉村:後輩も同期も売れていくし、どうしようって思っていました。 玉川:芸人さんの売れる・売れないはリアルですよね。けっこう貧乏な感じだったんですか? 吉村:貧乏でしたね! 一番ヤバかったときは、水だけで2日過ごしたときです。山手線に乗ったときに隣に海外の方が座っていたんですけど、その方の体臭でお腹が鳴ってしまうほどでしたね。 玉川:体の匂いが食べ物の匂いだと思ったんだ(笑)!? 原:そういう苦労があっての今なんですね。