「再会」した水原監督に勝つ野球を学ぶ 反抗⁉ 試合中に敵ベンチから抜け出して帰宅 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<13>
《昭和35年、球宴初出場の第3戦(後楽園球場)では村田元一(当時国鉄)から右翼席に2ランを放ってMVP、自身初の3割超え(3割2厘)を記録もチームは5位。翌36年、前年まで巨人在籍11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に導いた〝名将〟水原茂さんが監督就任》 【写真】記念写真に納まる張本勲さん、王貞治さん、原辰徳さん、巨人の阿部慎之助監督、ソフトバンクの小久保裕紀監督 東映の大川博オーナーがチーム刷新をはかって招聘(しょうへい)したんです。浪華商2年生のとき、「巨人に来ないか」と誘われた(10回目参照)水原さんとの〝再会〟は刺激的で、野球観が変わった。 キャンプ初日、水原監督が選手を集めて話した。「最優先すべきはチームの勝利。そのために1個のボールに全員が集中しなければならない。チームが強くなればファンも来る。球団ももうかる。選手の幸せになる」とね。それまで選手は(その時点で球団創設15年、14度のBクラスの)チームのことなんか考えない。自分の成績だけ優先するようなチームでした。それをガラッと変えた。キャンプでも連係など徹底的にチームプレーの練習が増えました。 《主砲を即刻、2軍へ降格》 象徴的なことがありました。山本八郎さんを2軍に落としてしまうんです。山本さんは浪商では私の3年先輩で、チームの4番を打っていた。本職は捕手ですが、水原監督は打撃を認め、一塁手にコンバートした。あの人は気が小さく、我慢できないタイプなんです。(前年35年、114試合出場の捕手を)外されて面白くないのか、ついわがままみたいな態度が出ちゃう。野球は何が起こるかわからない。でも打っても全力で走らない、守っても雑なプレーとか。われわれが見ても、〝ああ、ダメだな〟っていうプレーをしちゃう。 捕手では(36年4試合)、投手がサインに首を振っているのに山本さんが「カーブ、言ったやないか」って怒鳴る。そんなこと言う人いませんよ。投手はびびる。そんなチームプレーに反する細かなことまで監督は観察していた。「お前ら、勝つためにやってるんじゃないのか。チームプレーでやらないと勝てないんだ!」と2軍行きです。 しばらくして山本さんが1軍に戻ってきた。浪商の先輩で東映OBの米川泰夫さんに連れられてね。「監督、すみませんでした」と謝罪する山本さんに監督は「俺に謝るな。チームに迷惑をかけたんだろ。チームに、選手に謝ってくれ」と選手の前で頭を下げさせた。これまでの首脳陣は腫れ物に触るように接していたのに、水原さんは容赦がなかった。
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