万感胸にせまる「プレーヤー」たちの自立的な行動と、加齢による変化。老いとBA.2(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■「プレーヤー」と「マネージャー」の両輪 それ以上の感染拡大を防ぐために、私はラボを一旦閉鎖し、全員を在宅ワークに切り替えた。例外は、私と、BA.2スクランブルプロジェクトに必須な実験材料の準備に従事することができるふたりの学生のみ。この3人で、残りの作業を完遂するしかない。毎日体調に異常がないかを確認し、接触を避け、必要最低限の作業のみに取りかかる。 もっとも厄介だったのが、バイオセーフティーレベル3(BSL3)の施設内での作業である。当時、この作業をすることができたのは、私ともうひとりの学生のみ。やむを得ず、2021年はじめの、G2P-Japanの最初のプロジェクト(6話)の頃さながらに私が「プレーヤー」としてカムバックし、残された作業を学生とふたりで完遂した。 プロジェクトの遂行に必要だった実験材料をすべてコンソーシアムメンバーに発送し、「プレーヤー」としての私はお役御免となったわけだが、まさかこのような形でプロジェクトの円滑な進行が妨げられることになるとは露ほども思わなかった。有事のスクランブルは、本当に何が起こるかわからない。 その後は、無事回復した実働部隊たちに後を託し、私はふたたび「マネージャー」としての役務に戻った。しかし当時は、過去に類を見ない勢いで新型コロナウイルス(オミクロン株)の流行が広がっていた。私のラボメンバーたちが感染したということは、感染リスクはもうすぐ目の前に迫っていることを意味した。ここで私が感染してしまうと、このプロジェクト全体が頓挫してしまう。 万が一に備え、感染したラボメンバー全員が復帰し、書き始めたBA.2株の論文がある程度の形になるまで、私はずっとホテルの一室にこもって「カンヅメ」生活を続けた。感染リスクを避けるために、外食もせず、買い出しのために部屋から出るのも最小限に留めて、ずっとホテルの部屋にこもっていた。 ストレスでじんましんが出たのは生まれて初めてのことだった。こういうことこそまさに、理屈ではなく、経験しなければわからないことの最たるもののひとつであると思う。 幸いにしてその後は特に大きなトラブルも事故もなく、このBA.2株の論文は、トップジャーナルのひとつである『セル』に掲載された。