バロンドール3回受賞…フランスの英雄プラティニ氏「今のサッカーはどのチームも代わり映えしない。選手たちは監督の望むプレーを実行するだけだ」
元フランス代表のミチェル・プラティニ氏(68)が、フットボールに“10番”の選手がいなくなった嘆息を漏らしている。 選手時代にはユヴェントスなどで活躍したほか、フランス代表をEURO1984優勝に導き、3回バロンドールを受賞した“将軍”プラティニ氏。引退後はUEFA会長を務めたことで知られ、2015年にFIFA汚職事件に関与したとして同職を追われてからは(2022年に無罪判決が出ている)、公の場にあまり現れることなく穏やかな日々を過ごしている。 そんなプラティニ氏はスペインフットボールカルチャーマガジン『パネンカ』とのインタビューで、現代フットボールに自身のような“10番”は残っているのかを問われた。ゲームメイクほか際立った得点力も誇示して、フットボール界における“10番”の選手を体現する存在だった同氏は、その問いに対して悲観的な返答をしている。 「ユヴェントスならば少し前にピルロがいたが、彼はオーガナイザーの10番”タイプだった。しかし現在では、どこのチームも同じフットボールをプレーするようになってしまった。以前のフットボールは選手たちのものだったが、今は監督たちのものとなっている。選手は監督が望んでいるプレーを実行しているに過ぎない。きっと良い“10番”も存在し続けているのだろうが、しかし監督たちは彼らのような存在をどう扱うべきなのか、もう分からなくなっているんだ」 だが現代フットボールでも、お気に入りの選手はいるようだ。 「ベリンガムのことは追っているよ。彼は攻撃的な中盤の選手で、多くのゴールを決めることができる“10番”だ。ベリンガムを見ているとグリーズマンのことも連想するね。あの2人はフットボールのプレーというものを感じられる選手であり、そうやってチームに適応することができる。私の好きなタイプだよ」 プラティニ氏は1970年ワールドカップで優勝した故ペレ氏のブラジル代表や、故ヨハン・クライフ氏に憧れたことで知られている。 「子供の頃はあの偉大なブラジル代表を見続けていた。あの頃の私は、自分のノートに“ペレアティニ”という名前のサインを書き続けていたんだよ(笑)。ペレ、リベリーノ、パウロ・セサル、トスタン……。私はもっと後になって、彼らに直接会うことができた。何人かとはワールドカップで対戦したね」 「クライフについては……彼のプレーをコピーすることはついにできなかったね。私は彼とはまったく違う選手だった。ヨハンは自分と違ってスピードと俊敏性があり、私はもっと中盤寄りで、オーガナイザータイプだったんだ。私は彼やマラドーナなどほかのどんな選手にも似ていなかった。それぞれが異なるクオリティーを持っていたということだね」 「クライフには1980年、カンプ・ノウの試合で知り合うことができた。ロッカールームに入ると、そこにアイドルがいたんだよ。私は『ヨハン、君に会えて光栄だ』と語りかけたんだが、彼は自分が話していることにまったく気づいてくれなかったね(笑)。クライフとはあれから何度か会い、ゴルフに興じるなど良い関係を築くことができたよ」 プラティニ氏は、今なお熱を上げてフットボールを観戦し続けているのだろうか。 「フランス代表は先のワールドカップ以降見ていない。というよりも、UEFA会長になってから私は麻酔にかかっており、もう試合へのリアクションができなくなっているんだ」 「レアル・マドリーとバルサの試合を観戦しているとして、私はバルサがゴールを決めても笑うことができなかった。そうすればマドリー側が嫌な顔をするからね。反対にクリスティアーノ・ロナウドがゴールを決めて自分が笑みでも浮かべようものなら、今度はバルサが不満を抱えてしまうんだ。だから、私は“中立の男”になることを決めた。……まあ、私は自分のことを選手だと思い続けているし、選手たちのことは見続けているよ」 「EURO2024を見るかって? テレビの前にいれば試合を見るだろうし、フランス代表のことは追うよ。優勝の可能性だってあるわけだしね。しかし私は“選手たちのプレー”が見たいし、何よりもそこに興味を持っている。監督ではなく、フットボールと選手たち……それが自分の好きなものだ。子供の頃からずっと、ね」