「臓器提供」を「無償の奉仕の心」に訴えるのはなぜ…対価を要求しないと逆に世の中が悪くなるという「残酷な真実」
臓器提供を有償にするための思考実験
大金をもらったら後はどうでもよい、金を使って内臓を壊すほど無茶苦茶な生活をしてやる、とされては債務不履行になるだろうから、対価をもらった意思表示者は以後、自分の臓器の商品価値を下げないよう、健康な生活を送らなければならない(したがって私には無理だが)。 だから定期的に健康チェックを受け、提供予定臓器のコンディションが悪化したら治療を受ける義務を負い、不可逆的に悪化した場合には違約金を支払わねばならない。 そうして提供意思表示者が脳死に至ったら、その遺体からは直ちに臓器が摘出され、必要なレシピエントに提供されるのである。 臓器提供意思を示した者と予約を結び、対価を支払う主体は、まず医療機関である。それはレシピエント側からの拠出金、有志による寄付金などによって支えられる。 政府であっても構わないが、その場合、「自分にとって臓器移植は関係がない」「臓器移植そのものに反対である」と考えている国民から、自分の税金を使うなという不満が出るかもしれない。 仲介業者のクオリティはどのように維持されるのか、提供意思表示者が元気なうちに殺される心配はないのか、対価の相場はいかにして決められるのか、など細かい批判や議論はもちろんあるだろうが、ここではそこまで検討しない。あくまでも原理的な提案である。 さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美