松本人志が文春裁判で“常識”を超えて「失ったもの」…記録を閲覧してきた弁護士が指摘
残った「暗い一面」の記憶
1月22日の提訴から約9か月半に及んだこの裁判は、結局、松本氏に何を残したのだろう。振り返って思い浮かぶのは「激しく攻撃的」な松本氏の姿だった。女性の住所や電話番号まで明かすように迫り、裁判所の外でも女性側に圧力をかける。こうしたやり方は通常の裁判では見ない。そして、その活動が裁判で実を結ばなかった今、私に残ったのはこうした感想だけだった。 「松本人志さんは、こういう人だったのか」 実はこの裁判は文春側にとっても容易なものではなかったと思う。私もテレビ局の法務部で働いていて経験したことがあるが、取材源を匿名のままにして裁判を闘うことには困難も伴う。だから、松本氏が文春報道に異議を唱えるなら「あの夜に一体何があったのか」を正々堂々と細かく説明し、裁判で証言し、裁判官に信用してもらうという「正攻法」の闘いをすべきだった。それで勝訴すれば信頼は回復したかもしれない。 しかし、松本氏側は「工作活動」のようなことをした末に、自分から闘いの場を去ってしまった。その結果、多くの人の脳裏には、この裁判が照らし出した松本氏の「暗い一面」の記憶だけが残ったのではないだろうか。 この裁判で松本氏は、何かを得るどころか、大切なものを失ってしまったように感じる。この裁判を通じて焼きついた松本氏の印象がこの先消えることがあるのか私には分からない。しかし、もし松本氏が公の場に戻ることがあるのだとしたら、その前に女性への性加害疑惑も含めて「一体、どうしてこうなってしまったのか」を説明する必要があるのではないか。その場がない限り、その先もないように思う。 □西脇亨輔(にしわき・きょうすけ)1970年10月5日、千葉・八千代市生まれ。東京大法学部在学中の92年に司法試験合格。司法修習を終えた後、95年4月にアナウンサーとしてテレビ朝日に入社。『ニュースステーション』『やじうま』『ワイドスクランブル』などの番組を担当した後、2007年に法務部へ異動。社内問題解決に加え社外の刑事事件も担当し、強制わいせつ罪、覚せい剤取締法違反などの事件で被告を無罪に導いた。23年3月、国際政治学者の三浦瑠麗氏を提訴した名誉毀損裁判で勝訴確定。同6月、『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎刊)を上梓。同7月、法務部長に昇進するも「木原事件」の取材を進めることも踏まえ、同11月にテレビ朝日を自主退職。同月、西脇亨輔法律事務所を設立。今年4月末には、YouTube『西脇亨輔チャンネル』を開設した。
西脇亨輔