ノムさんに「あれ」と命じられて編み出したオリジナル魔球・高津臣吾さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(22)
右肘はめちゃくちゃ痛かったですよ。すごく無理をしたし、体に負担がかかったと思います。26、27歳ぐらいから慢性的に痛かったです。手術は1回も受けていません。勧められたけれど、手術すると自分のポジションがなくなってしまいます。休むのが嫌だったので、手術はしたくなかったです。薬を飲みながら、注射を打ちながら投げました。変な意味じゃなくて、注射がめちゃくちゃ気持ちいいんです。肘に水がたまっていると伸びたり曲げたりが難しいけれど、その水を注射器で抜いて、針だけ残して本体を変え、消炎剤を入れていくのです。すると、潤滑油みたいになって、すごく動きが良くなり、めちゃくちゃ気持ちいいんです。そんなことをずっとやっていました。(試合のない)毎週月曜日は常に病院にいました。 ▽重圧の大きな、しびれる試合を経験すると… 極限状態で力を出す方法ですか? ちょっとの緊張と、ちょっと興奮するのと、あとはしっかり冷静になること。熱い部分もないといけないし、ちょっとプレッシャーも感じないといけないと思います。無で投げるというのも無理だし、超リラックスして投げるのも無理だし、もちろんがちがちになって投げるのも、沸騰するぐらい熱くなって投げるのも無理。全て思考する頭の中もバランスです。
バッターは何を狙っているのか、どの球でカウントを取って、どの球で仕留めて、どこに打たせたいのかをしっかり分析してマウンドに立てるかどうか。そこは古田さんが導いてくれる役割でした。結構カリカリして投げていくところを、ここは1球ボールにしようかとか、逆にここは真ん中でいいよとか言ってくれたのは、マウンドですごく役に立ちました。もう一回冷静になって、ああそうか、と考え直すことができて、すごく助けられました。 いろんなプレッシャーがかかるところ、ビッグゲームで自分が果たしてどんなピッチングができるのか、どんな気持ちでグラウンドに立つのか。プロに入ったら、日本シリーズじゃなくていいんですけど、そういう究極のしびれるところでプレーしてほしいなと思います。なかなかうまくはいかないので、それをどうやってコントロールして、自分の100%に近いパフォーマンス、持っている実力を出せるのかというのは、せっかくだから経験してほしいですね。それがあるから後につながってくると思いますし、考え方も変わってきます。それを経験したら、ほとんどのことが「大丈夫」にもなります。
× × × 高津 臣吾氏(たかつ・しんご)広島工高―亜大からドラフト3位で1991年にヤクルト入団。3年目で抑えに定着。最優秀救援投手に4度輝き、4度の日本一に貢献した。2003年8月に名球会入り条件の通算250セーブに到達。04年に米大リーグへ移籍し、2年で計27セーブ。韓国、台湾、日本の独立リーグでもプレーし、12年に引退。プロ野球の通算286セーブは歴代2位。20年からヤクルト監督。68年11月25日生まれの54歳。広島県出身。