【スージー鈴木コラム】夏の甲子園の改革案を、選手自身に考えさせよう
実際にプレーした選手からの提言は、金言にあふれているはず[写真は今夏の開会式より]
【スージー鈴木の球さわぎの腰つき】 一時期は毎年、夏の甲子園を生観戦していたものだが、最近は、とんとご無沙汰になってしまった。 酷暑下の生観戦が年齢的に耐えられないこともあるが、そんな酷暑の下で、全力プレーをする(させられる)いたいけな若者たちが、何だかかわいそうに思えてきたからだ。 週ベの読者の多くには、反論があるだろう──「どこがかわいそうなんだ? 球児は聖地でプレーすることが夢だったんだ」と。まぁ、そこは、確かにそうなのだろう。 「球児は聖地で、肩が壊れてもいい、野球生命が終わってもいいと思って、命賭けてやってんだよ」という反論も来るか。なるほど、でもそこは、本当にそうなのかなぁ。 もどかしいのは、この夏(『聖地』というより)甲子園にいた、(『球児』というより)若者たち一人ひとりの生の声が聞こえてこないことだ・・・
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週刊ベースボール