クラブ経営の悪化とACL最強チーム「2部陥落」、中国サッカー強化失敗の「根本的な原因」【日本サッカーと「アジア最強国」中国は、なぜ立場が逆転したのか】(2)
■影響力を持つ「選手個人」の判断力
中国サッカー強化失敗の、より根本的な原因は全体主義の弊害だ。 20世紀の後半、当時のソ連や東ドイツはオリンピックで大量のメダルを獲得するスポーツ大国だった。国家が、国家の予算で(違法なドーピング行為も含めて)科学的トレーニングを行って、スポーツ強化を推進した。国の威信を懸けたプロジェクトだった。 だが、それはサッカーの強化にはつながらなかった。 ワールドカップでのソ連の最高順位は、1966年イングランド大会の4位。東ドイツに至ってはワールドカップ予選を突破したことは、たった1度しかなかった(皮肉なことに、それが西ドイツ開催の1974年大会だった)。 サッカーでは、一つひとつのプレーに対して監督が指示を出すことは不可能だ。セットプレー以外では、あらかじめ準備したパターンも使えないし、タイムアウトもない。だから、サッカーでは選手個人の判断力が非常に影響力を持つのだ。 ドリブルを仕掛けるべきか、パスをつなぐべきか、シュートを撃つべきか、ボールをいったん自陣に戻すべきか……。今は攻めどきなのか、あるいは我慢すべき時間帯なのか……。すべてピッチ上にいる選手たちが自分の責任で判断しなければならない。 しかし、全体主義国家では、個人の判断力を高める教育をしない。いや、個人が自分の頭で物事を考えることは禁止されているのだ。 企業や学校では、習近平主席語録の暗記を強制されることはあっても、判断力を高めるための訓練は行われない。だから、全体主義国家ではサッカーは強くならない。
■「眠れる龍」が目を覚ます日は…
20世紀には東ヨーロッパの社会主義諸国でサッカーが強化された例もある。 たとえば、1950年代前半のハンガリーは国際試合で4年間も負けなしで、初めて敗れたのがスイス・ワールドカップ決勝の西ドイツ戦だった。1962年ワールドカップ・チリ大会ではチェコスロバキアは準優勝。1976年の欧州選手権(EURO)で優勝するまで、チェコスロバキアは世界の強豪の一角だった。そして、1970年代から80年代にかけてポーランドもワールドカップで2度、ベスト4入りを果たしている。 ヨーロッパの戦後政治史に詳しい方ならお気づきだろう。 こうした東ヨーロッパの国のサッカーが強くなったのは、いずれも各国の共産党が自由化路線を採用し、その結果、ソ連の軍事介入を招くことになった「自由化の時期」なのだ。 伝統や潜在力が高いだけに、将来、習近平体制が崩壊して自由化が実現したときには、“眠れる龍”と言われる中国サッカーが目を覚ます日が来るかもしれない。だが、それはまだまだ遠い将来のことだろう。
後藤健生
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