「オリエントの宮さま」三笠宮さまの妻として75年…百合子さま101年の歩み 大正から令和の激動の時代を生き母子の健康や日本文化の普及に尽力
天皇陛下の大叔母にあたる三笠宮妃百合子さまが15日朝早く、老衰のため逝去された。 皇室で最高齢の101歳だった。 【画像】1941年に三笠宮さまと結婚された百合子さま
老衰のため安らかに息を引き取られる
101歳の安らかな旅立ちに、皇室の方々はこれから当面喪に服されることになる。 宮内庁・永井良三医務主管は午前11時過ぎ、「病院にはこれまで、できるだけの手を尽くしていただきましたが、ご高齢ということもあり、本日早朝から血圧が低下され、6時32分にご薨去(こうきょ)されました」と発表した。 皇室の医療を統括する永井医務主管は、百合子さまが先週までリハビリを続け、徐々に全身の機能が低下し、老衰のため安らかに息を引き取られたと説明した。 百合子さまは午前9時半ごろ、入院先の病院をあとにし、長年住み慣れたお住まいに戻られた。
両陛下や愛子さま上皇ご夫妻など相次いで弔問
昼ごろには両陛下が三笠宮邸を訪れ、元日に新年の儀式であいさつを受けられて以来の悲しみの対面となった。 年長の百合子さまを案じていた90歳の上皇ご夫妻や両陛下の長女・愛子さま、 秋篠宮ご一家など皇族方も相次いで弔問された。 16日からは宮邸の前で一般の記帳が受け付けられ、葬儀は皇室の伝統にのっとって行われる。 重篤な状況が続く中、1週間にわたりご家族とお別れの時を持たれ、三笠宮さまが96歳で心機能が低下した際、手術を希望し回復へと導かれたのも百合子さまだった。 そうした決断力や精神力・生命力は皇室全体の大きな支えだっただけに、深く大きな悲しみが広がっている。
大正・昭和・平成・令和と激動の時代を生き抜かれる
百合子さまは、上皇さまの叔父にあたる故・三笠宮崇仁さまの妃(きさき)で、記録の残る皇族では最長寿の101歳。 大正・昭和・平成・令和と、激動の時代を生き抜かれた生涯だった。 3月に入院後は、口から水分や食事をとることはできないものの、落ち着いた状態が続き、6月には101歳の誕生日を迎えられた。 前日にも病院を訪れた孫の彬子さまは、その時の様子を「きょう100歳最後の日でございますねとお話ししたら、『うん』と、おっしゃっていらっしゃいましたし、毎日リハビリをなさって」と明かされていた。 翌日の誕生日当日には、ご家族から病院で祝福を受け、つい最近まで車いすに座るなど、体調は比較的安定されていた。 1941年に、三笠宮さまと結婚された百合子さま。 空襲により宮邸が全焼し、5人のお子さまに恵まれるも、「ひげの殿下」として親しまれた長男の寬仁さま、次男の桂宮さま、47歳の若さで急死した三男の高円宮さまと、3人の息子に先立たれるなど、大きな悲しみを何度も経験されたご夫妻。