「SNSで論破する」のが快感になったら「老化の始まり」…医師が教える《ヤバい老害脳》の兆候
意見の異なる人を攻撃し、自分の正義を振りかざす……。著書に『老害脳 最新の脳科学でわかった「老害」になる人ならない人』がある加藤俊徳氏によれば、ネット上でよく見かけるこうした行為は「脳の老化が始まっているサイン」だという。「老害脳」にならないために、どんなことを意識すればよいか、脳内科医の立場からアドバイスをいただいた。 【マンガ】78歳が仰天!工事現場でよく見かける「交通誘導員」の「最高月収」
「不毛な議論」は脳が老化しているサイン?
国会中継や政治に関するニュースを見ていて、「不毛な議論」だと感じることはよくあります。 その議論が実際に不毛なのかどうかは別として、われわれが「不毛」だと感じてしまうのは、議論をしている双方が頑固になっていて、もはやまともな議論になっていない、まるで「議論でショウ」になっているからでしょう。 脳が老化すると、思考力も理解力も衰えてしまうため、論争は双方が攻撃を勝手に続けるだけで結論が出ない争いになってしまいがちです。 野蛮な話、身体的な「勝負」で決着でも付けない限り、双方に妥協の余地がないため、何も話が進まず、非常に非生産的になります。 このような不毛な議論を娯楽や見世物として捉えることに、私たちもよくよく気をつけなければならないと思います。 たとえば、国会中継を見ていて、あるいは討論番組を見ていて、自分の意見に近い人が、そうではない相手を「攻撃」しているとしましょう。 「そうだそうだ、もっとやれ!」「今の論破は痛快だった。この人の言うことは実にまともだ。それに引き替え相手のやつはなんなんだ……」 こんな感情を持つようになっていたら、実は脳の老化が始まっているサインなのかもしれません。
「違う立場の人」から新たな学びを得よ
脳がみずみずしさを保っているなら、自分と近い意見であろうとなかろうと、相手の主張を一旦聞き、思考して理解するプロセスを踏むことができます。そして、その上で批判すればいいのです。 また、たとえ政治的立場や考えが近いからといって100%意見が一致するわけでもありません。しかし、なまじ感情移入してしまうと、その人の言うことが正義に聞こえる危険性があります。 反対に自分から遠い立場の人の話も、本来ならときには参考になったり、聞くべき内容が見いだせたりもするはずです。むしろ違う立場の人だからこそ、新たな学びを得ることもあるでしょう。 本当に脳が老化していなければ、この作業を苦痛には感じません。むしろ、異なる意見を無視することは、脳の柔軟性を失わせるため、脳科学者の私には苦痛に感じてしまいます。