「意志を持て」「ブラック企業に搾取されるな」「投資しろ」「老後資金は自分で」働き方改革と引き換えに労働者が受け取ったシビアなメッセージ
ノマド、副業、個で生きる
大企業の長時間労働是正がなされる一方、2000年代からはじまっていた日本社会の「やりたいことを仕事にする」幻想は、2010年代にさらに広まることになる。 働き方改革がはじまる少し前─2014年(平成26年)からはじまったYouTubeのCMキャンペーンのキャッチコピー「好きなことで、生きていく」を覚えている人もいるだろう。 そう、会社に頼る代わりに、一方で「副業」や「フリーランス」といった働き方がもてはやされたのだ。会社や組織に頼らず、個で稼げ、と説かれる。 「ノマド」という言葉も浸透し、立花岳志の『ノマドワーカーという生き方―場所を選ばず雇われないで働く人の戦略と習慣』(東洋経済新報社)が出版されたのは2012年(平成24年)のことだった。 この傾向は、働き方改革を経てますます強くなる。つまり会社で終身雇用に頼るのではなく、好きなことや自己実現を果たせることで、個として市場価値のある人間になるべきだ、というメッセージが日本社会に発信されたのだ。 自分の意志を持て。グローバル化社会のなかでうまく市場の波を乗りこなせ。ブラック企業に搾取されるな。投資をしろ。自分の老後資金は自分で稼げ。集団に頼るな。─それこそが働き方改革と引き換えに私たちが受け取ったメッセージだった。
労働小説の勃興
働き方改革の時代性は、読書の世界にも影響を及ぼす。 実はリーマンショックを経た2000年代末から2010年代、労働というテーマが小説の世界で脚光を浴びていた。 たとえば非正規雇用の女性が主人公である津村記久子の小説『ポトスライムの舟』(講談社)が芥川賞を受賞したのは2009年(平成21年)。企業を舞台にした池井戸潤の小説『下町ロケット』(小学館)が直木賞を受賞したのは2011年(平成23年)。就職活動をテーマとした朝井リョウの小説『何者』(新潮社)が同じく直木賞を受賞したのは2013年(平成25年)。 どれも「働き方」や「働くこと」の是非を表現した小説だった。 さらに2016年(平成28年)に発売され芥川賞を受賞した村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋)はベストセラーとなった。本書はコンビニで働く女性の物語なのだが、コンビニで働くことで自分を「普通」に適合させるのだと主人公は感じている。 つまり労働が主人公の女性にとって、実存そのものの問題となっている。 ほかにも、『舟を編む』(三浦しをん、光文社、2011年)、『銀翼のイカロス』(池井戸潤、ダイヤモンド社、2014年)など、仕事をテーマにしたベストセラーも登場し、ドラマも労働の風景を描いた『半沢直樹』(TBS、2013年)、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS、2016年)が高視聴率を獲得した。 2000年代半ばには「純愛」ブームがあったが、2010年代は、「労働」ブームだったと言えるだろう。 ちなみに、2010年代の労働の捉え方については、拙著『女の子の謎を解く』(笠間書院、2021年)で解説したので、興味のある方はそちらで読んでみてほしい。 写真/Shutterstock
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